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お互い様さま

誰かとすれ違う。
文字通り歩いていて、の話です。
すんなり通れますか?
立ち止まりますか?
ぶつかりませんか?

普段はなかなか意識しないのですが、歩く速度そのままでも意外とぶつからずに歩けるものです。

ところがある時期。
狭い一本道で毎日のように、同じ人にぶつかりました。その方は身体の大きい若い男性で、ちょうど私の頬あたりに肩が当たります。
けっこう痛いのです。
私としては避けたつもりだったのに、何でだろう?と何日も不思議に思いました。

そしてある日、彼が1ミリたりとも避けていないことに気が付きました。
つまりぶつからないように歩くには、ほぼ身体ひとつ分、横にズレないと当たる事になります。相手が全く避けないのですから前方より壁が進んでくるようなものなのです。大きく避けなければなりません。それまで私は半身を逸らしながら前への歩みを止めていませんでしたから、なるほどこれではぶつかるわけです。

なぜ毎日ぶつかるのか、ようやく理解した私は、翌日いつものように向こうからやってくる彼を、今日も避けてくれないんだろうなぁと思いつつ、身体ひとつ分、狭い道をはみ出すように大袈裟に避けて通り過ぎました。

かくして私だけが一方的に避ける日々がしばらく続いたわけです。正直に言うとちょっと悔しくて不本意でした。

そんなある日のことです。いつもは1人で歩く彼の横に若い女性の姿がありました。2人は和やかな笑顔で話しながら歩いて来ます。
そしていつものようにすれ違うその瞬間、聞こえて来たのは外国の言葉でした。

一気に謎が解けた、そんな気がしました。

私たち日本で暮らす者は、普段お互いに少しずつ半身避けるようにしてすれ違っているのでしょう。
誰に教わったわけでもなく、自然に行って来た身のこなしです。もちろんこれは日本だけでなく、色んな場所で見受けられる事なのかもしれません。
けれどそれが当たり前ではない世界があるのですね。これは文化が違うという事なのでしょう。

自分も避ける、相手も避ける。
お互いに少しずつ避ける事で、最小限の動きでぶつからずに歩き続ける事ができます。
スクランブル交差点でも、あちこちに行き交う駅の構内でも、すごい勢いでぶつからずに歩くことが普通になっています。

お互いに少しずつ引く。
ほんのちょっとの思いやり。
自然と身についた当たり前の文化です。

譲ってばかりで損をする日本、はっきりとした意思表示が苦手で、何を考えているのか分からないと言われる日本人。

いつまでもそれではダメという時代があり、世界基準というものに敏感になりつつある昨今ですが、他人との争いを好まないからこそ、本音でぶつかるより相手を尊重して少し譲る。

そしてそれが続けられるのは同じように譲ってくれる相手の存在があるからこそなのでしょう。まさに「お互いさま」です。

新しい価値観や違和感に気が付く容易さに比べ、慣れ親しんだ当たり前の感覚に気が付くのは意外と難しいのかもしれません。

今日あたりから高速道路では帰省ラッシュが予想されています。合流地点では2つの道から来た車が1台ずつ譲り合って合流する様子が見られる事でしょう。それも根底に「お互いさま」と言う社会の仕組みがあるからこそですね。

この仕組みを失くさないよう、まずは自分自身の煤払いをして心の感度を上げたいものです。

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