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伝えるもの。伝わるもの。

この春からお世話になっている新しい職場には20代の若者が多い。以前の職場は長く勤める人が多く、皆さん年上で私が2番目に若かった。今回は逆で、おそらく私が2番目に歳をとっている。

若い社員さんと中年以降の契約社員という構成で日々の仕事に取り組むのだが、若い社員さんは自分の親と同じくらいの契約社員に指示を出し、時には注意を与えなくてはならない。

契約社員はみな良い歳をした大人ばかり。この「良い歳」とは自分の「世界」が出来上がっていて、その「世界」に対してある程度のリスペクトを求めてしまう、いわば「個人事業主」のような存在である。

自分も含まれるのであまり言いたくはないが、一癖も二癖もある、面倒くさい人たちである。

そしてそんな面倒くさい人たちに対して、今の職場の若者の応対が驚くほど素晴らしい。

指示というよりお願いをする。
質問には嫌な顔をせず笑顔で答える。
こなした仕事に対してはお礼を言う。
注意をしても上からではなく、失敗の原因に理解を示しつつ、元気づける。

これが徹底されている。

これをされると老体に鞭打ってでも(と言ったら大袈裟だが)力になってあげたいと思ってしまう。

頼られたら頑張るしかないじゃないですか〜。

というわけで、若い子たちの手のひらでコロコロ気持ち良く転がる今日この頃である。


ほんの少しの気遣い、言葉遣い、それだけでこんなにも伝わる波長が変わってくるのかと、つくづく他人は自身の鏡なのだと思う。

自身を美しく整えなければ、鏡の中も美しい姿には映らない。

内心ではイライラすることもあると思うのだが、年上の面倒くさい人たちを上手く使うのも仕事のうちということなのかもしれない。

古い人に話を聞けば、以前は違っていたらしい。上手くいかないことを受け、改善に改善を重ねて今があるという。若い人が多い会社でも上層部には長年会社を支えてきた妙齢のおじさん、おばさんがいるわけで、その方たちが検討し改革し作り上げて来たのだろう。

どんな若者も育てている親がいる。しかし育てているのは家庭だけではない。学校も然り、職場も然り。それだけではなく、メディアを含む社会の風潮も然りだ。

最近の若い子たちー
それは私たちが育てた子たち。
老害ー
それは未来の私たち。

社会は繋がっていて、一方的に受け身ではない。一方で引っ張られたら、自身も誰かを引っ張ることになる。だからこそ、ほんの少しの気遣いと言葉遣いで伝わる波長が変わるのだ。

それは巡り巡って自分を包む、優しい空気になる。

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