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人の心は生命に比べて重すぎる

生命は大事だ。
当たり前のことなのだけれど、どんな人の生命も、いや人だけじゃないけれど、生きとし生けるもの、生命は大事にすべきと思う。
言うまでもない当たり前の話である。

そんな当たり前の話をここにつらつらと書かなければならないのは、世の中には色んな人がいて、その大前提を書かないことには後々面倒なことになるからである。

そう長々と断った上で…。



人の心って生命に比べて重すぎやしないかと思うことがある。


犬は(ウチには2頭の犬がいるのでつい比べてしまう)人間の3歳児並みの知能があると言う。

確かに衣食住以外の、遊びたいだの愛されたいだの、そう言った情緒的な欲求がある。まぁこれは多分犬に限ったことではないだろう。しかし人間はそこから更に知能を育てて行く。知能が育てば欲も育つものだ。

お釈迦様は歓迎しないかもしれないが、欲があるからこそ向上心が生まれ人間は発展して来た。
しかし欲があるからこそ満たされない思いを抱えたり他者との間に摩擦が生まれるワケで、どうも持て余し気味になる。

アメリカの心理学者・マズローさんによると、人間には5段階の欲求があるという。

1. 生理的欲求
2. 安全の欲求
3. 社会的欲求

3. 社会的欲求までは犬にもある。
欲は更に続いて、

4. 承認の欲求
5. 自己実現の欲求


これで5段階。

衣食住は測りやすい。
けれど承認は人との関わりの中で生まれるものだから難しい。
自己実現なんて考え始めると、そもそも自己って何だろう?と言うところから始める羽目になる。

それは生きている間に見つけられるのだろうか?
生命はみな生きているだけで美しい。
それなのに生きているだけでは満たされないなんて。

人体の6割は水で、脳は水分を除けば6割が脂肪で出来ているらしい。
満たされないで喚いているのはこの脂肪なのか、心の正体は何なのか、考え出したらキリがない。

マズローさんの言う5段階は上に積み重なり、1つの層が満たされると次の欲へとレベルアップするピラミッド型になっている。

でも私はこの5つを同等の5本の樹木のように捉えている。

1つの層が完全に満たされることなど無く、また優先順位はあるものの、どの欲も同等に求められるものだと思うから。

満たされたかどうか、それを決めるのはそれぞれの心次第。
どの段階であっても心が足りないと言えば、それは足りていない。

5つの欲はバランスが大事でお互いに影響し合っている。
夢を持っていても食べなければ生きて行けないが、夢のために衣食住を節約する人はごまんといる。

どの木が枯れても心は助けを求める。
人の心は高く延びた木の上に寝そべっているだけの不安定なシロモノで、生きてゆく中で自分にとって最適なバランスを見つけなければ、いつ落ちてしまうか分からない。

どこかに集中しすぎるとどこかが成長しなくなる。いびつになれば心地が悪い。
伸びない木に嫌気がさして引っこ抜きたくなることもあるかもしれない。

そしてあんまりにも高く伸びた木を、
生命は支えられるだろうか。


この頃はこんなことばかり考えてしまう。
心の問題と侮ってはならない。心がどれほど身体に影響を与えることか。
私たちの生命にとって心はすでに重量オーバーなのではないだろうか。

身体を労わるように、心を労わり、
どうか今夜も快く眠れますように。