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『存在の耐えられない軽さ 』ミラン・クンデラ著。 モテ男の話ではあるが、モテたことのない僕が読んでも感動してしまうのである。政治的激動を背景としていることだけが、その凄さの理由ではないぞ。

『存在の耐えられない軽さ 』集英社文庫 1998/11/20
ミラン・クンデラ (著), 千野 栄一 (翻訳)

Amazon内容紹介
「本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。」

 ここから僕の感想。若い時、映画がブームになったときも、映画も見なかったし、小説も読まなかった。この前、クンデラの『冗談』を読んだらとんでもない傑作だったので、続けて、本作も読んでみたらまあ。それを上回る大傑作でした。『冗談』はクライマックスで実は大爆笑してしまったのだけれど、こちらは大号泣してしまいました。

 基本的に、モテ男の女性遍歴恋愛小説というのは、僕自身が、モテたためしがないので、共感できなーい。のだが、これはまあ、なんというか、そういうことを超えた人生まるごとの深い認識に読者を連れて行く、感動的な小説でした。

 プラハの春と言う、チェコの政治的激動を背景舞台としていること。もちろん、政治的激動、密告や監視、生死をかけた緊張感の中に生きていることはたしかにこの小説の重要な要素ではありますが、それだけが、恋愛遍歴小説に深みを与えているわけではない。

 『冗談』でもそうだったけれど、現代のフェミニズムとポリコレ標準からすると、恋愛性愛に関わる部分、女性、女性登場人物の心理を描写分析する部分も、男性本位に描かれていると批判されちゃうのだろうか、といささか不安に思いつつ、それでも、ここまでの深さでそのことを複数の人物の視点で描きだすことは、これは尋常ではない。

 政治的な動乱の中で生きることと、男女の関係、恋愛を生きることと、家族親子という軸での人間の在り方、仕事、天職ということ、それを超えて、神と人間と動物!の関係についてまで踏み込んで、人間存在の在り方、幸福とは何か、裏切るということと誠実であるということ、そのことが描かれていく。

 ひとつの視点での誠実さや正しさが、他の視点から相対化され覆されていく。(他者の視点から、ということではない。政治的に生真面目であることは、恋愛や親子や、という視点では相対化されるというような、そういう意味。)生真面目さ、切実さ、そうでなければならないという運命さえ、他の視点からみると、必ずしも正しくはない。こうやって書いてみると、『存在の耐えられない軽さ』というタイトルの、なんと秀逸なこと。
 

 その複雑な思索の積み重ねが、登場人物の人生の変遷、エピソードの積み重ねの中で、ごく自然に小説として紡がれていく。
 

 時間経過も直線的ではなく、主人公二人の運命は小説途中で明らかにされるのだが、そうした構成であることが、さらに深い人間洞察と、感動的結末へと読者を導く。どうしたらこんな素晴らしい構造構成の小説を作れるのだろう。小説家としての技量の高さというのは、Amazon内容紹介が「現代ヨーロッパ最大の作家」と書くのも、大げさではないよなあ、と納得してしまう。本当に素晴らしいとしか言いようがない。

 個人的には、人生の終わりに向けて、だんだんといろいろなものを捨てて、妻と二人の生活に収斂していくこの時期に、その結末のありようが、我が身、自分の人生と重なって、涙をこらえることができなくなったのでした。

 読んでいない人も、映画は見たという人も、本当にお薦めです。

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