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『コスタグアナ秘史』フアン・ガブリエル・バスケス (著)久野 量一 (訳)。いやもう、面白かったけど。コロンビアの社会、歴史の重さが詰まっていて、はじめ軽妙な語り口が、最後の方でどんどん重く暗く超ヘビー級になっていきます。 

『コスタグアナ秘史』
(フィクションのエル・ドラード) 単行本 – 2016/1/1
フアン・ガブリエル バスケス (著), Juan Gabriel V´asquez (原名), 久野 量一 (翻訳)

Amazon内容紹介

はネタバレかなり含むので、ここではひとまずカット。僕があらすじをネタバレしないようにまとめてみると、

かつてはコロンビアの一部だったパナマ。パナマ運河建設をめぐる19世紀半ばから20世紀初頭の波乱の歴史(世界史的広がりを持つ)を、主人公語り手の個人史家族史と、大きな政治史世界史的視点を行ったり来たりしながら描いていく。その物語の基底には、この主人公語り手とイギリスの作家、ジョセフ・コンラッドの不思議な関係があるようだが・・・

ここから僕の感想

 いやはや、まったくすさまじい小説でした。傑作としか言いようがない。このファン・ガブリエル・バスケス、読んだのは4作目だが、まったく外れなし。どれも抜群に面白い。

 この作者、祖父がコロンビアの有名な保守政治家ということで、コロンビアの歴史史実の中のある疑問・謎のようなものが主人公の家族史との関係で提示され、それを主人公が追いかけていくと、真実ともこの作者の創作フィクションともつかぬ新しい事実が次第に明らかになっていく、という史実からスタートするサスペンス的展開を取ることが多い。

 1973年生まれと、ラテンアメリカ文学のブームが起きた頃に生まれた、若い世代の作家であり、ガルシアマルケスら巨匠を読んで育ち、上の世代の巨匠たちとは異なる、なんというか現代的な「小説を書くこと自体をメタ視点から小説の中に取り込む手法」とか「醒めたユーモア」の感覚とか、そういう現代最先端の世界文学的特徴を持つ。僕がこの人の小説がすごく好きなのは、この語り口の現代性が大きく貢献している。知的で内省的でユーモアもある。個人の生活を大切にする感じと、大きな歴史や政治へのかかわり方のバランスが絶妙、というのも好きな理由である。

 基本的に謎解きの形で語られる小説なので、論じ過ぎるとサスペンスネタバレになるので、ぜひとも読もう、と思う人は、この辺でこの感想文はストップして、Amazon(古本しかないが)か、図書館にどうぞ。

ではここからさらにネタバレ含む感想に進んでいきます。

ネタバレありAmazon内容紹介

〈「ジョゼフ・コンラッド、あなたはぼくを盗んだ、あなたはぼくの人生を排除した…」コンラッドが描き出した架空の国コスタグアナ、しかしそれは、歪曲されたコロンビアの歴史だった…『ノストローモ』創作の陰に隠蔽されたコロンビア人の影を浮かび上がらせ、語られなかった物語、語られなかった歴史を南米側から暴きだす、現代ラテンアメリカ文学の傑作。〉

ここからネタバレあり僕の感想

 19世紀末から20世紀初頭に活躍した、ポーランド人で英国で活躍した、ジョセフ・コンラッド。先日感想文を書いた『闇の奥』が有名だが、バスケスはこのコンラッドの評伝を書いていて、その取材・調査をしている中で、この小説の着想を得たようである。

 『ノストロノーモ』は日本語では、筑摩文学大系50『コンラッド』でしか読むことができないのだが。本書解説に引用されている、その冒頭にある「作者の覚書」で、

「コスタグアナの歴史に関してわたしが頼りにしたのは、いうまでもなく、大英帝国、スペイン大使その他の大使を勤めた、尊敬おく能わざる、今はなきドン・ホセ・アベリャノス氏であり、彼の著した構成にして雄大な『失政五十年史』である。」

訳者あとがp318に引用された『ノストロノーモ』覚書き

と書いているのだが、この人物も著書も架空のものなのだという。そしてコスタグアナという国も架空の国である。しかしどうも、コンラッドはこの『ノストロノーモ』の執筆経緯について「気が咎めている」ということが、様々な資料から分かっている。

 コンラッドが「気が咎めている」のはなぜか。その理由を想像、創作していく、というのが本書の着想の核ということなのだ。

 架空の国コスタグアナ、その銀鉱山開発と、大国の干渉、国内の革命と反革命の争いの歴史を書いたのが『ノストロノーモ』の内容らしいのだが、バスケスは、これをかつてはコロンビアの一部だったが、運河建設をめぐってアメリカの干渉で独立し運河利権をアメリカが独占したそのパナマをめぐる話を元に場所を架空の国に、運河を銀山に置き換えて作られたものと考えた。そしてそれをコンラッドに伝えたコロンビア人がいた。いたとすると、その人物の人生があった。その人物の人生を創作することで、実在の高名な作家、コンラッドと、架空の人物、主人公の人生が織物のようになって、コロンビアとパナマの歴史を描いていく。

コロンビアについて思うこと

 話が突拍子もない所に飛びます。コロンビアになぜこれほど素晴らしい小説家が生まれるかと言うと、

①それは世界史的に見た時に、南米の中でいちばん欧州の玄関のような位置にまずあり、そこから独立する運動の中心にあり、その後、最もアメリカに近いという位置にあり、アメリカの裏庭として最もアメリカに支配され影響を受ける国であったという世界史的位置づけ。そのことが、パナマ運河建設でも、初めはフランスの影響下にあり、次にアメリカの介入があった経緯が本書で語られていきます。

②その中で、本書でも繰り返し触れられる国内政治の、保守派と自由派革命派の勢力が、もう宿命のように何度も繰り返し政争だけでなく内戦を繰り返し、それは現在までずっと続いている。政治的暴力で人がたくさん死ぬということが収まることなく、ずっとずっと繰り返し続いている。20世紀末からはそういう政治暴力に、麻薬カルテルの暴力が重なって、本当に酷いことになった。作者の『物が落ちる音』は、そういう政治暴力+麻薬カルテルの暴力が重なるコロンビアのあり方を描いている。

 世界史と国内政治史とが暴力的に収まることのない波として繰り返す国なので、個人の生活、家族の歴史も、そうしたものと無関係では絶対にいられない。

 本書の途中、主人公は、フランス人運河技師の未亡人(夫は黄熱病で死ぬ)と結ばれ、娘を持つ。そして決意する。引用するね。

 同時にぼくはエロイーサ(娘の名前)よ、二度とぼくの人生に政治が割り込んでこないようにする誓いを自分に立てていた。父を崩壊させ、ぼくの国を何度も混乱に追い込んだ政治が攻めてきたときには、完璧な状態にある新しい家族を最善の方法で守り抜くつもりだった。(中略)
 ぼくは機械のように同じ台詞「ぼくは政治に興味がない」を繰り返した。
「あなたは自由派に入れるの?」
「ぼくは政治に興味がない。」
「保守派に入れる?」
「ぼくは政治に興味がない。」
「あなたは誰?どこの出身?誰が好きでも誰が嫌い?」
「ぼくは政治に興味がない。」
陪審員の読者よ、ぼくはなんという夢想家だったことか。ぼくは本当に、あの偏在する全能の怪物の影響から逃れうると思っていたのか?ぼくはそれが政治的な問いであることに気づかないまま、平和に生きるためにどうしたらよいのか、ぼくに贈られた幸せをどうしたら永続させられるのかを自問していた。〉

本文p214~215

 コロンビアの歴史は、社会は、主人公をほうっておいてはくれないのである。その過酷さが、日本とは全然違うのだよなあ。ほんとに関係ない方にいくけれど、YouTubeで、日本在住のコロンビア人の女性がやっている日本紹介チャンネルがあって、コロンビア在住のご両親が日本旅行に来て、いろいろ感動する。というのがあった。そしてコロンビアに帰ったご両親の元を、久しぶりにこっそり里帰りしたチャンネル主女性がサプライズ訪問する、という動画があるのを最近見た。その中で、お父さん(植物学者、インテリなのである。)が語る。

日本から帰ったコロンビア人父が重症的な逆カルチャーショックを受けていた【日本に移住?】
(Ori and Kaito)チャンネル

娘「日本から帰ってきてから、どう?」
父「難しいよ」
娘「難しい?」
母「毎日、日本のことを考えているのよ。本当に毎日ね。」
娘「日本の何が恋しい?」
父「全部だよ、静けさ、平和、リスペクト」
母「文化もね」
父「ここに戻ってからは本当に大変だよ。もう俺も60歳になるけど、カリに生まれ育って、今もこうして生活して、全くこの国が改善されることはないんだ。都市部での人の共存に改善が全く見られない。全くな。もう無理なんだ。もどかしさを感じているよ。日本に行ったことで、俺が生まれ育った場所への認識が変わった。今もそう感じているよ。将来的にもここらは何も変わらないんだ。希望は無いんだ。そんな事実を受け入れるのは本当につらい。つらいよ。『ここにいるならそれを受け入れろ』って言っている自分もいる。この事実を受け入れるか、他の場所に移るのかのどっちかだよ。そんな感じさ。シンプルだろ。」

下のYouTube動画、字幕


 コロンビアでもカリは都会で、食べ物もおいしくて、街もみたところとてもきれいで、この家族も豊かで知的で、だからこのお父さんの言っているのは、「貧しい」とか「不便だ」とかそういうことでは全然ないのは映像、動画を見ると分かる。そうではなくて、この小説でも描かれた、バスケスのどの小説でも描かれた、もう200年近く続いている、保守派自由派の対立、それがときどきは収まるけれど、政治的暴力としてすぐに、何度でも国を覆い尽くす。そういう対立が国の基本的状態としてずっとあって、その中で生きていくということがコロンビアで生きていくということ、そういうことを言っている。
 ということが、バスケスの小説を読んだ後で、このYouTube動画を見ると、本当によく分かるんだよね。

 コロンビアからなぜこれほど優れた世界的小説が、小説家が次々生まれてくるかと言うと、世界史的に見て常に最も強い国に対峙し最先端の文化に触れ続けるが、その暴力に晒され続けるという位置づけにあり、国内の政治状況もその影響と国民性と歴史から暴力的争いが終わることは無く、個人の生活もまたそういう政治的暴力とは絶対無関係ではいられない中でしか生きられない。それは幸せなことかと言われると、幸せとは言えないのだと思うけれど、強烈な文学は生まれてくるのだよなあ。

大脱線しちゃったけれど、この小説、大傑作だし、この作家、僕より若い世代の小説家としては、いちばん好き、すごい作家だと思う。日本でももっと知られるべき、読まれるべきだと思うのだよな。


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