『きらめく共和国』 アンドレス・バルバ (著), 宇野 和美 (訳) 200頁に満たない中編小説、絵本のようにかわいらしいタイトルと装丁ですが、中身は最先端の本格的世界文学。22年前に起きた不可解な事件を、(他者には)愛に満ちた、(自分には)厳しい視線で回想する。その姿勢が何より美しい小説でした。
『きらめく共和国』 単行本 アンドレス・バルバ (著), 宇野 和美 (翻訳)
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ここから僕の感想
年が明けたら読もうと、年末に選んで、食卓脇に積んである数十冊のうち、いちばん薄くて、すぐ読めそうなやつ、ということで読み始めたのだが。絵本のようなかわいらしい絵の装丁と「きらめき共和国」という、かわいらしいタイトルだし。
しかし、本の重さは、物理的な厚さではわからないものなのであった。薄くて短いのに、ヘビー級の本格小説でした。
著者はスペイン人作家なのだが、舞台は架空の都市、サンクリストバル。サンクリストバルという名前の都市は、現実にはメキシコ南部グアテマラ国境と、ベネズエラ西部コロンビア国境にある。どちらも、似ているところはあるけれど、この架空の都市とは微妙に条件が合わない。小説中の気候と季節の関係から、南半球にあるようだし、都市の脇をかなりの大河が流れ、ジャングルがその先に広がる。インディオらしき先住民ニェエ(これも架空の人たちのようだ)の集落が都市周辺にあり、都市の中にもニェエや、ムラートが住んでいる。
主人公は社会福祉課の地方公務員で、別の都市で先住民コミュニティ―の統合プログラムで成功して、その実績を買われてサンクリストバルに赴任した。サンクリストバル出身のバイオリン教師のマヤという女性と恋愛関係にあったのだが、赴任を機会に結婚している。マヤは再婚でニーニャという娘がいる。マヤはクラシックのバイオリニストだが、クンビアやサルサやメレンゲが体の奥に自然にある、というような描写があることからも、コロンビアあたりの中南米の先住民のいる国の地方都市をイメージしいるように思われる。
その、架空の街での、不思議な事件、1994年から95年にかけて起きた、「正体不明の、9歳から13歳くらいの子供たち32人が、あるときから街に現れ、盗みやついには殺人まで起こし、忽然と姿を消し、そして一斉に命を落とした、という事件について、22年後に主人公が回想する、という小説なのである。
起きた事件の不思議さだけからいえば、マルケスのようなマジックリアリズム小説になってもいいようなところを、非常に理知的な観察眼と自己分析を通じて描写していく。近い過去ではあるが、まだSNSもない時代。新聞やテレビというマスメディアがこの事件をどう取り上げたか。事件後にドキュメンタリーや記事がどう書かれたか。住人の少女が後に書いた書籍を引用したり、学者の研究がどうなされたか。そういった、(もちろんすべて架空のものだが)、ノンフィクションのような視点で、事件を回想していく。
一方で、妻マヤと娘ニーニャという家族との生活が、事件の中で、事件を経て変化していくというもうひとつの軸が小説に奥行きを与える。子供と治安を巡る事件に、担当の地方公務員としてどう対応したかという視点と、妻と、特に謎の子供たちと同年代の娘を持つことになった(守るべき家族がいるという)父としての立場。ノンフィクション的な描写と、家族、女性や子供との関係、愛について語る視点いずれもが、冷静で深い洞察に満ちていて、かつ、なんというか、分からないことへの謙虚さが随所にある。読んでいて、尊敬できるというか、この小説家の姿勢や文章は好きだなあ。他者への視線の公平さと、過去の自分の行為や考えへの厳しさがある。自己正当化をしない倫理観の高さが感じられるのである。
わずか150頁ほどの、中編小説なのだが、中身が濃い。本格的な文学作品としての、多面的な魅力が詰まっている。謎解き小説ではない。もちろん、不可解な事件が(冒頭の一行で32人の子供か死んだことは明かされている)どのようなものだったのかという興味を軸に読者を引っ張っていくのだが、読み終わっても「わかった」ということと同じくらい、人間存在と言うか、子どもという存在と言うか、そのわからない部分の余韻が深く残る。また、街も自然も子供たちも、暴力的で汚いものと不意打ちのように現れる美しさとを描き出す、その描写力と想像力。
「きらめく共和国」というタイトルも、読み終えると、なんとも言えない複雑な感慨とともに納得できるのでありました。
分厚い本を読むのはしんどいが、本格的な世界文学、最新の純文学を読んでみたい、という方に、特におすすめです。
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