戦争が始まって1年間、考えたこと、その1。言語とひじかけ問題。

 ずいぶん前に書いたnote
「NHK「ウクライナ語で叫びたい」日本在住ウクライナ人ディレクターが、「ウクライナ語とロシア語」の併用と自己のアイデンティティ、そして愛国心についての葛藤を綴ったドキュメンタリー。本人、そして家族の、戦争前と開戦後の、意識変化、深く考えさせる。」
 が、この一日だけでまた200人くらいの人に新たに読まれている。戦争から1年たったことの報道がたくさんあったせいだろう。もしかすると、この番組も再放送されたのかもしれない。

 僕は外交や軍事の専門家ではないので、この戦争がどうなるのかとか、そういうことは何も分からない。分からないけれど、一年間、にわか勉強を続けて、考えてきたことがあるので、つらつら書いてみる。

 僕の生き方とかモノを考えるときの傾向というのは、「誰か困っている人のためにすぐ行動する」という具体的な方向には全く行かないで、「そのことの本質とは何だろう」と、まったく役立たずの方向にいくことである。それはもうどんな大災害・大事件・大事故が起きてもそういうふうにしか頭が働かない。まったく申し訳ない。人としてどうかと思う。「ウクライナの戦争で悲惨な目にあっている人を助けたい」みたいな方には頭も心も働かないからカラダも動かない。冷血漢である。申し訳ないが、そういう人間なのである。

 この戦争が起きても、いちばん頭が向かったのは「戦争っていうのはなぜ起きるのだろう」ということだった。それは「映画館のひじ掛け論」ということで繰り返し文章にしてきた。以下、およそのことを繰り返する。

 国と国の間には、歴史的経緯を遡っても帰属がどちらなのか、両者の主張が対立するエリアがあり、そこでは言語や宗教も混在し、両方の民族や住民が混在し、国際法上、現在どうなっていようと、実効支配が今現在どうなっていようと、どうしても折り合うことが出来ずに紛争が起きやすい地域、エリアがある。 映画館のひじ掛け、ふたつの座席の間にひとつしかひじ掛けとカップホルダーがない場合、「先に肘をかけた、飲み物を置いた人のもの」「体がデカくて強くて怖そうな人のもの」になるのと似ているので「映画館のひじ掛け問題」と僕が勝手に名付けたのである。

 尖閣や竹島のような、小さな無人島や離島という小さなひじ掛け問題もあれば、北方領土のようなもうすこし大きなエリアもあれば、沖縄(琉球王国)や、スコットランドや、バスク地方やカタルーニャという国として独立するしないという大きさの国内の大地域もある。イスラエルのように人工的に解決不能な形で作られたところもある。(建国されるまで、エルサレムは、ユダヤ教徒キリスト教徒イスラム教徒が、比較的平和に共存する都市だったのに。)

 ドイツとフランスの間の「アルザス・ロレーヌ地方」はふたつの大戦も、その前遡っても何度も戦争の原因になってきた代表的ひじ掛け問題であった。その地域の石炭と鉄鋼を共同管理する機構が第二次大戦後に作られ、それが、EECからEC、EUへと発展するもとになっている。ひじ掛け問題を人類の英知で解決した稀有な例だと思う。

 ウクライナの戦争も「ドンバス地方」や「クリミア半島」というひじ掛け問題とみることもできるし、もう少し大きく見るとロシア側からはウクライナと言う国全体を「ひじ掛け」とみる「大ロシア主義」という主張があり、それに対して、ウクライナがこの戦争を通して、強固なナショナリズム「ひじ掛けでなく、一個の独立した国家だ」という強い意志が形成されるきっかけとなっている、という見方が現在有力である。

 プーチンの「思想・歴史観」として、「ウクライナはロシアの一部である」という大ロシア主義の思想がいちばんの根っこにはある。NATOの東進とか、天然ガスの利権とか、いろいろなことはあるのだけれど、いちばん根っこにあるのはその大ロシア主義だ、というのは、小泉悠氏も繰り返し語っている。

 この、NHKの番組とそのnoteも、「言語とアイデンティティ」を巡る内容だったわけで、「ひじ掛け問題としてのウクライナ戦争」であることを使用言語の切り口で物語っていると思う。2014年のマイダン革命以前では、「ウクライナ語使用とロシア語使用」は、東西で地域差が大きくあったけれど、その中間に位置するキーウ在住のカテリーナさんの一家の中であっても、ロシア語で生まれ育っていて、マイダン革命後、父親だけがロシア語を拒絶し、この戦争が始まった後に母と妹がロシア語を拒絶するようになった」という事情が語られていくのである。

 で、このnoteの最後に「ウクライナ語とロシア語の距離感」というのはどれくらいのものなのかなあということを書いている。関西弁と標準語くらいの距離なのか、沖縄方言と標準語くらいの距離なのか、ということについて書いておしまいになっているのだが、これ、言語だけではなく、「ウクライナとロシアの規模と歴史的な距離感or一体感」がどちらなのか、ということにもつながっている。

 ロシアの現在の人口は1億4千万人。日本とほとんど変わらないくらいしかいない。国土はでかいけれど。ウクライナは、ソ連崩壊直後は6000万人くらいの人口がいたのが、その後の経済危機などでどんどん海外に流出して、今、4500万人くらい。とはいえ、けっこうデカい。この戦争、すごい大国がすごい小国をいじめている、というイメージが強いのだが、人口規模で言うと、ウクライナはけっこうデカい。

 沖縄以外の日本1億3千万人が、沖縄150万人をいじめている、という規模感ではない。関西地方(大阪・京都・奈良・兵庫・滋賀・和歌山)2000万人VSそれ以外の日本1億1千万人(東京中心の日本)が戦争している、くらいの規模感である。はじめ「沖縄と日本」の比喩でこの戦争を理解しようとしたこともあったが、むしろ「日本はもともと関西が歴史的起源で中心だった」的な感じで、キーウと言うのは、ロシア系スラブ人の国にとっての「奈良・京都」みたいな都市で、そこから後に江戸に中心が移ったようにモスクワができた、という感じである。

 ソ連成立以降の近現代の歴史だけ見ても、ウクライナ人ではないけれどウクライナ出身のフルシチョフが、ウクライナ共産党書記長から、ソ連全体の書記長になって、そのときの手土産に、クリミア半島の帰属を、ロシア共和国からウクライナ共和国に移管したのが、そもそものクリミア紛争の火種である。ドンバス地方に関しては、ソ連崩壊後にドンバス地方をどちらの帰属にするかは両方の意見があったのである。例えば将来、日本を道州制に分割するときに、本州を東日本と西日本に分けるとして、名古屋中京地区をどっちにしようか、くらいの話であった。名古屋にトヨタがあって工業生産的に重要、というのと同じように、ハルキウはソ連の重化学工業の中心地域だったのである。最近読んだ、ロシアの現代小説のアンソロジー『ヌマヌマ』に収められている「現代ロシア文学の代表的作家」の出身地、略歴を見ると、「ハルキウ生まれ」の人や、活動拠点が「ハルキウ」だった人が何人かいる。そういうことである。ハルキウやマリオポリという「中京名古屋地区的に重要な重工業都市・港湾」を、ソ連崩壊時ウクライナ帰属にしてしまったのを失敗と思って、取り返しにかかっているというところが、この戦争にはあるのである。あんまり言われないけれど。

 そういうわけで、西側が武器を供与して支えている、というのもあるけれど、いくらなんでも沖縄vsそれ以外日本、規模の戦いだと、こんなに長期的にもつわけがないのだ。実際は「関西地方」vs「それ以外の日本」という規模で、関西側に対して西側が武器を大量に支援している、という規模感の戦争なので、そうそう簡単には終わらないのである。

 そして、ソ連時代は「関西人だし日本人」と同様「ウクライナ人でソ連人でロシア語しゃべる」というあいまいな意識だったのが、ソ連崩壊以降も漠然と続いていたのが、マイダン革命から次第に意識が変わり、ついにこの戦争で「二度と関東の言葉なんて使わない。関西弁をビジネスでも学校でも公用語にする」と決意し、「奈良、京都の昔から、太閤さんまでこちらが中心だったのだ」というプライドをもって、ぜったい「東日本、東京中心の日本」になんか負けないと決意している状態になった、という感じだと思うのである。

 うーん、こう書くと、規模でいうと「関西」vs「それ以外」なんだがなあ。しかしアイデンティティ問題でいうと、琉球王国が、中国と薩摩に両属国家だった歴史から、明治以降、明確に日本の一部になったのが、はっきり独立戦争を始めた、というほうが「地域と国家のアイデンティティ」問題としては近いような感じが、またしてくるのである。沖縄の人が、標準語をビジネスや学校では使うけれど、日常会話は沖縄の言葉をメインで使う人もいる。というようなほうが近いような気もしてくる。

 「民主主義vs権威主義」の戦いだ、価値観の戦争だ、みたいなことがこの戦争1年を特集する解説番組でもさかんに言われる。「近現代の国際法、国際秩序への挑戦だ、強いものの無理が通るジャングルのような世界に戻してはいけない」みたいな議論も多い。そっちの問題についてももちろんたくさん考えたことはあるので、それはまた別に書くけれど。でもなあ、「映画館のひじ掛け」問題が、戦争の本質だと思うのだよな。資源とか利権とかもあるけれど、「住んでいる人、言語、宗教、民族」が混在してしまっていたら、もうどうしたってひじ掛け地帯をめぐって、戦争は起きるのである。

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