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『バグダードのフランケンシュタイン 』 アフマド・サアダーウィー (著) 群像劇の秀作映画を観たような、読後感。イラク戦争後のバグダードの、リアルな、切実な状況を描くための、卓抜したアイデア。SFでもホラーでもありません。おすすめ。

『バグダードのフランケンシュタイン 』2020/10/26
アフマド・サアダーウィー (著), 柳谷 あゆみ (著)


Amazon内容紹介

「連日自爆テロの続く二〇〇五年のバグダード。古物商ハーディーは町で拾ってきた遺体の各部位を縫い繋ぎ、一人分の遺体を作り上げた。しかし翌朝遺体は忽然と消え、代わりに奇怪な殺人事件が次々と起こるようになる。そして恐怖に慄くハーディーのもとへ、ある夜「彼」が現れた。自らの創造主を殺しに―不安と諦念、裏切りと奸計、喜びと哀しみ、すべてが混沌と化した街で、いったい何を正義と呼べるだろう?国家と社会を痛烈に皮肉る、衝撃のエンタテインメント群像劇。アラブ小説国際賞受賞。ブッカー国際賞およびアーサー・C・クラーク賞の最終候補」


ここから僕の感想。


 面白かったよー。うん、群像劇なのですよ。映画で言うと「マグノリア」とか、ああいう感じ。「名無しさん」と呼ばれる、この爆破テロの犠牲者をつぎはぎして生まれた人物以外は、バグダードに生きる、普通の、現実的な人たち。イラク戦争後の、アメリカに占領され、自爆テロが多発し、宗教的政治的対立・抗争が続くイラク、バグタードに生きる、多様な人を、本当に生き生きと描いている。


 そう、だから、この「名無しさん」が生まれた経緯も、元祖フランケンシュタインのような、「科学者の」と言うような話では、全然ない。


 少し話が(いつものように)脱線するが、つい最近、日本のイスラム教徒の人たちが「お墓が無い」ということで困っているというニュースをやっていた。イスラム教では、埋葬は土葬でないといけない。なぜかというと、死者は終末に蘇り、遺体に魂が戻って復活する、ので、お墓にちゃんと、遺体がないと、魂は戻るところが無くて、困ったことになるわけだ。イスラム教ではお葬式はきわめて簡素にスピーディに行われて、お墓も、大きな墓石などはないのが普通なのだそうだが、それはちゃんと遺体が存在し、土葬されている場合。


 で、小説に戻って。大勢の人が一度に犠牲になる自爆テロが相次ぎ、遺体がバラバラになって散乱し、「魂が戻るべき遺体として存在できない」という状況が、イラク戦争後のバグダードでは続いた。何人もの遺体のパーツを拾い集めて、ひとつに縫い合わせるということを、ハーディと言う古物商がしてみた、ということから、話は始まる。「マッドサイエンティストの」というような話では全然なくて、イラク戦争後の自爆テロ多発するバグダードの状況、そこでの住民の悲惨で切実な状況が生み出した怪物なわけだ。


 古物商のお隣さんの耄碌したおばあさんは、東方教会というキリスト教徒だが、この息子は、昔のイランイラク戦争に行って、行方不明になっているのだが、ばあさんは息子がいつか生きて戻ってくると信じている。その娘たちはイラクの戦乱混乱を嫌ってオーストラリアに移住してしまっている。ばあさんを追い出して住居を取りあげてしまおうと狙っている不動産ブローカー、そのブローカーがやはり狙っている古いホテルのオーナー、そのホテルに住む若いジャーナリスト、そのジャーナリストを雇っている政財界に広い人脈を持つイケメンやりて編集長、その友人の諜報機関の将校、諜報機関が雇っている占星術師、書いていくだけで、どんな風に群像劇が広がっていくのか、なんとなくイメージが湧くかしら。


 舞台は2005年の、イラク戦争終結後、米軍に占領されたバグダード。なので、この小説の中では、バグダードの危険を避けて、地方に引っ越す人がたくさんいるのだけれど、その後15年、ISの戦乱や、隣国シリアの泥沼の内戦などで、バグダードから逃れても、イラク全体が危険で大変なことになった。この小説のあの人物、この人、その後どうなったのだろうと、いろいろと心配になる。一人一人のその後を心配したくなるほどに、一人一人がよく描けています。


 というわけで、ホラーとかSFとか、そういう感じではなくて、ある時期、ある地域の、そこに住む人たち、その国、都市の丸ごとが、生き生きと描かれている、とても良い小説でした。悲惨な自爆テロや、宗教政治的武力衝突抗争が、日常の中に、もう本当に日常的に組み込まれてしまっている。それでも人は、その中で、希望を持ったり、家族を思ったり、金儲けしようと思ったり、恋をしたりする。


 またまた話は飛ぶけれど、「敗戦によりアメリカ軍に占領されて」という状況は、第二次大戦後の日本も同様の体験をしたのだけれど、日本人の従順な適応ぶりと比較すると、イラクの混乱というのは、なかなか激しいものがあり、その違いはどこにあるのかなあ、ということも、読みながら考えました。そのことについての直接的ヒントは、この小説には特に書かれてはいないのだけれど。イラクの、民族伝統の深さと特徴とか、住んでいる人たちの出自の多様性とか、宗教的複雑さとか、人の気質、考え方とか、そういうことというのは、国際ニュースなんかだけでは、どうしてもよく分からないので、こういう小説を読むというのは、そういうことを考えるためにも、なかなか意義深いものであるなあ、と思ったのでした。


 本当に、意外なほど、読後感、さわやかな良い小説だった。お薦めです。

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