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『黒い匣 (はこ) 密室の権力者たちが狂わせる世界の運命――元財相バルファキスが語る「ギリシャの春」鎮圧の深層』ヤニス バルファキス (著)  シェークスピア的人間の深淵を覗き見る文学として。

『黒い匣 (はこ) 密室の権力者たちが狂わせる世界の運命――元財相バルファキスが語る「ギリシャの春」鎮圧の深層 』
ヤニス バルファキス (著),
朴勝俊、山崎一郎、 加志村拓、青木崇、長谷川羽衣子、松尾匡 (訳)

Amazon内容紹介

この終わりなき悪夢の物語は2015年、債務の束縛に抵抗して立ち上がったギリシャの人びとの、半年間の反乱の実録である。おぞましく行使される欧州の権力。だが希望は傷つくことなく残っている。これは普遍的な、そしてまさに日本にとっての物語なのだ。

本の帯に紹介されている書評

「史上最高の政治的回顧録」
――ポール・メイスン (『ザ・ガーディアン』)

「ヴァルファキスの筆致には、二転三転する探偵小説のような物語としての駆動力がある……とても優れていて非常に読みやすく、重要な『今年の一冊』のリストには必ず入ってくるはずだ」
――スタン・パースキー (『ロサンゼルス・レビュー・オブ・ブックス』

ここから僕の感想

 戦争が始まって、毎日、終日、テレビのニュースを見て、ネットの記事を読んではnoteを書いていたので、読書時間は限られ、この本はちょうど戦争が始まったころ読み始めたので、50日もかかってしまった。毎日1時間読んでいたので、50時間もかかった。500ページの本なので、1日10頁しか進まなかったのか。とほほのほ。

 政治家の回顧録というものを、いままで読んだことが無かった。カエサルの『ガリア戦記』もチャーチルの『第二次世界大戦』も『わが人生』も読んでいない。しかし、この本は。政治家の回顧録というものが、なぜ世界文学の一ジャンルとして成立しているのか、ということの意味を思い知った。というのはどういうことかについて、ここでは書いていきたい。それ以外にも、今回の戦争で僕も初めていろいろ興味を持った、EUという組織の中の、各国の力学とか。そしてまた「緊縮・反緊縮」をめぐる、これは日本国内の政治課題としても重たい問題への示唆を読み解く素材としても、様々に読めるわけだが。(この本の翻訳陣も、日本における反緊縮派の知識人が総動員、と言う感じで、解説も松尾匡氏がその視点から書いている。)
しかし、今回、このnoteでは、ひとまず、「政治家の回顧録が文学である、というのはどういうことか」という切り口で書いていく。

読み終えて、改めて序文を読み返すと。

 序文でバルファキスが書いていることが、読み終えて、なるほどと納得できたので、その序文を抜粋しながら紹介。この本が何について書かれた本であるかを、実にうまくまとめている。

 2015年1月に、私はギリシャの財務大臣になり、私の著述の対象であった怪物の腹部に突入してゆくことになる。ギリシャは慢性的な借金漬けの状態にあり、当時は債権団(欧州最強の政府や超国家機関)と激しく対立していた。(中略)
 本書は、一人のギリシャ元財務大臣の物語である。一介の経済学者がしばらく政府の大臣を務め、やがて内部告発者へと変わっていく物語と紹介されるかもしれない。または、アンゲラ・メルケル、マリオ・ドラギ、ヴォルフガング・ジョイブレ、クリスティーヌ・ラガルド、エマニュエル・マクロン、ジョージ・オズボーン、バラク・オバマといった権力者に関する暴露本だと言われるかもしれない。あるいは、、破産した小国が債務者の刑務所から脱出すべく欧州の巨人たちに戦いを挑み、名誉ある、惨憺たる敗北を喫する物語だとみなされるかもしれない。しかし、このような解釈は、私が本書を著した本当の動機を伝えていない。(中略)
 本書の物語は、欧州、英国、米国の変化を著しているにとどまらない。私たちの政治体制や社会保障制度がなぜ、どのように解体されているのかについて、現実的な洞察を与えるものである。台頭する極右が流すフェイクニュースに、いわゆる自由主義的な支配層が対抗して見せていたが、2015年に民主的に選ばれた欧州統合支持派のギリシャ政府に対して、事実の歪曲と誹謗中傷のための猛烈なキャンペーンを行っていたのは、まさにその支配層であった。そのことを確認しておくのは有益だろう。
 しかし、こうした洞察は有益だろうが、私が本書を書いた動機は、もっと深いものであった。私自身が経験した個々の出来事の背後に、普遍的な物語が見えた。それは、非人間的で目に見えない権力関係のネットワークが創り出した残酷な状況に翻弄されることになった人間には、いったいどんなことが起きるのか、ということである。本書には「善人」も「悪人」も登場しない。むしろ、自分で選択したわけではない状況下で最善を尽くそうとしている人たちが登場人物である。私が出会い、本書に描いた人々は、正しい行動をしていると信じていたが、全体として彼らの行動は大陸規模の災いをもたらした。これは正真正銘、悲劇の題材ではなかろうか。ソフォクレスやシェイクスピアの悲劇が、物語られている出来事が全く古くさくなってしまつた現在においてもわたしたちの共感を呼んでいるのは、こうしたテーマのせいではなかろうか。
 あるとき、国際通貨基金(IMF)の最高責任者であるクリスティーヌ・ラガルドは怒りに任せて、このドラマを結末に導くためには「あの部屋の大人たち(adults in the room)〔の対話〕が必要なのだと発言した。彼女の言う通りだった。このドラマが展開した数多くの部屋のなかには、大人というべき人間がほとんどいなかったのだ。とはいえ、登場人物たちは大きく二つに分類される。凡庸な人物と魅力的な人物だ。凡庸な人物の仕事は、上司からの命令書のチェックシートに印をつけてゆくだけのことだった。しかし多くの場合、彼らの上司(ヴォルフガング・ジョイブレのような政治家や、クリスティーヌ・ラガルドやマリオ・ドラギのような官僚たち)は違っていた。彼らは自省し、自分自身の役割を見つめ直せるだけの資質を持っていた。だからこそ面白いほどに、自己実現的な予言の罠にはまりやすかったのである。
 実際、ギリシゃに対する債権団の仕事をみていると、オイディプスの国でマクベスの物語が繰り広げられているようだった。
 中略
 彼らはある時点でマクベスのように、権力が耐えがたい無力へと変質することに気づき、最悪の選択をとらざるをえないと感じたようだった。私には彼らが次のように言っているように聞こえた瞬間があった。

血の流れにここまで踏み込んでしまった以上
今さら引き返せねものではない。思い切ってわたってしまうのだ。
怪しげな影が、この頭のなかに、そしてそれが手にのり移ろうとしている。
そうだ、とめることはできない、やってしまうのだ、考えるのは後でよい。
『マクベス』Ⅲ ⅳ 〔福田恆存訳〕
 このような残酷なドラマの主人公による独白が、偏向や自己弁護を含まないことはありえない。できる限り公正不偏を保つために、私自身やほかの登場人物の振る舞いを、古代ギリシャ悲劇やシェイクスピアの悲劇のレンズを通して見るようにした。そこにはは善も悪もなく、登場人物たちは自分の意図に反する出来事に翻弄されてゆく。私が魅力的だと感じた人物たちや、凡庸さゆえにさほどそう感じなかった人物たちを題材にして、悲劇作家たちの仕事を受け継ぐことができたかどうかは分からない。だからといって弁解したくはいない。違った方法で彼らを表現したならば、この記述の歴史的正確さを損なうことになったであろうから。

 物語は、初め、悪玉善玉がはっきり分かれた設定でスタートする。

 悪玉は、まず、前政権の首脳たち、そして欧州中央銀行ECB、IMF、EUの財務大臣たちによる作業部会「ユーログループ」とその実働部隊の官僚たち。ECB、IMF、EUの三者=トロイカ絶対権力が悪の帝国なわけである。ギリシャの貧しい民衆から、仕事も年金も奪い、税金を上げろと迫り、公的資産もすべて売却させて借金を取り上げようとする。彼らが押し付ける解決策を呑め。飲んだら、また金を貸してやるぞ。それを唯々諾々と受けるだけの現政権。しかも悪質なのは、ギリシャの中の富裕層・既得権益者たちは、脱税、汚職に染まりこの仕組みの中で甘い汁を吸い続けている。ECB、IMFは様々な仕組みで、本当はもう破綻しているギリシャに融資、追い貸しをしては、その返済を手にすることで、利益を上げ続ける。EUの中心、ドイツは、経済的に弱い国々を借金漬けにして、ドイツの言うことを聞くしかない隷属的な国にして支配する。イタリアもスペインもアイルランドも東欧諸国もそういう「借金で奴隷状態」の国になっている。実はフランスさえもそう。ドイツとベネルクス三国と北欧などの富裕な国が、貧しい国を経済的に支配する体制がEUであることが描かれる。
 それに対して立ち向かう、正義の側として、左翼政党シリザの、アレクシス・チプラス党首とその盟友ニコス・パパス、この二人が、アメリカの大学で教えていた経済学者である筆者、ヤニス・バルファキスを財務大臣候補として、同志として迎える。

 実は、シリザは「グレクジット」、EUからの離脱を主張するのが主流派だったのだが、チプラス、パパスは、EUに残りつつ、ギリシャを債務地獄から抜け出すことを目指し、それを主張するバルファキスを財務大臣候補に迎えて、総選挙に臨もうとしていた。


 政権奪取をして、トロイカと交渉して、債務を整理し、経済成長に向かう解決策・改革プランを作る。既得権益者からは税金を取りたてるが、貧しい人には減税をする。EUに留まりその中でギリシャを立て直す。前政権のように借金漬けの自国にハマり続けることは拒否する。トロイカにnoと言う。こうした公約を掲げて、シリザは選挙に勝つ。バルファキスは国会議員にならず学者の民間人大臣になるという選択肢もあったのだが、国民からの負託を得て大臣になりたいと、何の地盤も組織もなく選挙に出るが、見事に当選して財務大臣になる。シリザの党員とはならず、そことは距離を置いて、自らの信念に従って、トロイカと対決しようとする。アレクシス首相の信頼だけが頼りなのである。

 この組閣のあたりから、シリザの中も一枚岩ではなく、トロイカに協力というか服従屈服したがる者から、すぐにグレクジットを志向する左派まで温度差があることがわかってくる。しかし、バルファキスは、アレクシス・チプラスを信じ、また自分の学者時代からの盟友を閣僚に加えてもらったり、スタッフに迎えたりして、トロイカとの対決に向かっていく。

 結末として、バルファキスが政権の中で孤立し、トロイカとの対決にも敗れて辞任することはわかっているのである。いったい、誰が政権の中でバルファキスを裏切るのか。どんな経緯で孤立していくのか。初めにあれほど深く信頼していたアレクシス首相との関係は、どうして崩れてしまうのか。

 また、初めは「全員悪役」に見えたトロイカ側の人間の中にも、まさにシェイクスピアの悲劇の登場人物のような複雑さを次第に見せていく人物が出てくる。その最たるものは、EUのユーログループを牛耳る、ドイツの財務大臣、ジョイブレ。しかし、その後ろにはアンゲラ・メルケルが。初めはジョイブレが、ダースベーダみたいな悪の権化で、それと戦うには、メルケルを説得しなければ、となるのだが。スターウォーズが進むにつれ、ダースベーダにも人間としての感情も歴史もあることが分かってくるように、ジョイブレの描き方も終盤に行くにつれ変化していく。

 アメリカの人たちと言うのは、これはかなり幅広く、バルファキスを支援してくれる。学者ではジェイミー・ガルプレイスやジェフリー・サックスが、きわめて深く知運協力してくれるだけでなく、あのバーニー・サンタ――スも、何度も強力な支援の策を講じてくれる。全く反対側にいそうなラリー・サマーズ元・財務長官も、バルファキスを応援してくれる。バラク・オバマ大統領まで登場する。このあたりは、なんでなのかな、と思うが、直接利害が薄い場合は、「論理的に正しいことを素直に応援してくれる」感じなのかもしれない。

 欧州の政治家の中で、いちばん味方になってくれるのが、今、まさに大統領選を戦っているエマニュエル・マクロンで、当時は経済相だったのである。ちなみに、割と悪役度高く登場するECB総裁のマリオ・ドラギは現在、イタリアの首相である。本当に、欧州のトップの中のトップの人たちと、ついちょっと前まで一回の経済学者だったバルファキスは、協力をお願いしたり交渉したり戦ったりするのである。

 初めは善悪敵味方がはっきりしている戦いと思われたものが、次第に混沌としていき、味方だと思っていた者が、どんどん敵と手を結んだり、屈服したりしていく。敵と思っていた人物が、ときどき、理解を示したり、人間的な一面を見せたりする。

 「凡人」の中でもわりと最悪なのが、各国の社民勢力の要人たち。会議の前の根回しで、会食をしたり、個別に話したりするとバルファキスの示す解決策に、全面的に賛成してくれて、素晴らしい、言う通りだ、と絶賛するくせに、ユーログループの会議の場になったり、記者会見になったりすると、態度が豹変する。ジョイブレの顔色を窺い、無言になったり、全く支持しないような発言をする。「ドイツに借金していて弱みを握られていて、ギリシャのように責められたくない」ということなのである。全く頼りにならない。

 政権を取ってすぐ、何千億円という単位の借金の期限が次々に押し寄せてくる。それを、どうやって払うか。伸ばしてもらうか。すぐにも銀行取り付け騒ぎが起きそうになるのをどう防ぐか。かといって、トロイカの要求を呑んだら、さらなる地獄が待っている。トロイかに、新しい改革プランを認めさせ、債務整理を受け入れさせることはできるのか。バルファキスはありとあらゆるアイデアと行動力と交渉で、なんとかこの解決しようと奮闘するが。途中では、中国とだって国債を買い入れてくれ、その代わりに港湾の運営権を売るから、と言うような交渉もするのである。

 もう、結末は分かっているわけなのだが。敵が、トロイカがわからんちんなのは初めからだから仕方がないが。なぜ、政権内部が、腰砕けになっていくのか。なぜバルファキスを悪者にしていくのか。読んでいて、もう最後の方ははらわた煮えくりかえり状態なのだが、たしかに、これは、バルファキスをが言う通り、悲劇に向かってすべての登場人物が不可避的に進んでいく、「悲劇」なのだ。そういう文学なのだ。そう思わないと、とても読み進められないのである。なぜこの人は。なぜこの人まで。

 この本、主要登場人物の顔写真が、ところどころに挿入されている。バルファキスから見た、その人物の捉え方、印象にふさわしい写真が選ばれているのである。誠実な人は誠実そうに。融通の利かないやつは、いかにもそういう表情の写真が。しかし、物語の展開ともに印象が変わる人物の写真というのは、何度も見返すたびに、うーん。そうなのか。なんか、悲しい気持ちになる。

 ひとり、最終盤の方で、どんどん重要人物になっていく人がいて、「あれ、この人、どんな顔だっけ」と写真を探したが、出てこない。あれれ、と思って、Wikipediaで検索しても、何にも出てこない。その人の初登場シーンを読み直して経歴を見てみると、なるほど、普通の意味で、政治家ではない。

 人間の複雑さ。それが組み合わさって、悲劇につながる。大人物もそうだが、ドラマの中で、一瞬、すごく重要な役割を果たして消えていく人物というのもいるのだよな。

 そんなところも含めて、政治家の回顧録というのは、なんというか、文学なのでした。第一級の。必読。読むの大変だけど、必読です。

 

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