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『テスカトリポカ』 佐藤 究 (著) メキシコの麻薬カルテルの常軌を逸したと見える暴力の底には、アステカ文明の宗教祭祀の文化的宗教的伝統が横たわっているのでは、という着想を、日本を舞台にしたクライムノベルに定着させる力業に見事に大成功している。様々な制約のもとで育った主人公の「言語と概念の独特の発達」と人間としての成長を追う純文学でもある。

Amazon内容紹介

 メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へと向かう。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年・土方コシモはバルミロと出会い、その才能を見出され、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく――。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国〈アステカ〉の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。心臓密売人の恐怖がやってくる。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。第34回山本周五郎賞受賞。』

ここから僕の感想。

 この小説の大クライマックスが起きている日付、2021年8月26日木曜日の夜なのである。何という偶然。2021年8月27日金曜日の夜中にそれを読んでいた。惜しい、一日違い。 

 ぴったり同じだったら、もっと自慢できたのに。

 W受賞した賞が、ともに娯楽小説の最高賞であることから分かるように、エンターテイメントとして素晴らしい、とても楽しめちゃったのだが、ふだんは純文学方向をメインに読んでいる僕にとっても、いろいろ楽しめた。その理由は後ほど。

 NETFLIXで「ナルコス」という、実在の麻薬王の生涯を素材にした連続ドラマシリーズがある。初めのシリーズはコロンビアの麻薬王、パブロエスコバルを主人公にしたもの、そのあとコロンビアのライバル、カリ・カルテルを主人公にしたものになり、最後のシリーズがメキシコの麻薬カルテルを舞台にしたものになる。

 コロンビアでもメキシコでも、麻薬カルテルの扱う金額の大きさとともに、その暴力の残虐さというのが、常軌を逸している。最近も日本のワイドショーなんかで取り上げられていたが、敵対する組織同士はもちろんだが、特にメキシコでだけれど、ジャーナリスト、判事、検事、警察などが惨殺される事件も頻発している。殺し方がもう日本人の感覚としては尋常でなく、首だけでなく、四肢バラバラ、皮を剥ぐ、内臓を抜く、もうひどい。

 で、こういう殺し方が、単に麻薬組織の残虐さ、ということだけではなく、コロンビアとメキシコ、つまりインカとアステカという、古代文明、「神に人間を定期的に大量に生贄として捧げてきた文明・宗教・王朝」の上に、わりと近い過去にその上にスペイン人の征服により文化が成立した地域の歴史に根があるのではないか、という理解の仕方、というのは、、わりとある話である。

 この小説のお話もそこから始まるのだが、そもそもの着想の出発点もそこにあるのだと思う。メキシコの麻薬組織の、日本人には常軌を逸したと思われる残虐な殺し方の根底には、アステカの宗教的伝統・基盤があり、その理解なしに単に「残虐だ」と興味本位で騒ぐのはフェアではない。そういう問題意識からアステカの宗教の教義と祭祀を深く知るうちに、そこにさらに物語を展開するアイデアの種が出てきて、物語を推進していく。この小説は、そうして書かれたのではないかと思う。

 メキシコの麻薬カルテル、アステカ文明の神話と祭祀、それを「日本を舞台にした犯罪エンターテイメント小説にどうつなげていくか」というのが、この小説の、作家の腕の見せ所であり、それがものすごくうまくできているのが、二大娯楽小説賞W受賞の理由だと思う。ある種ネタバレ禁止だと思うので、それ以上は書かないが、すごくうまくできている。

 1996年のメキシコ シナロア州クリアカンという麻薬カルテルの中心地に暮らす、麻薬カルテル、売人(ナルコス)とは関わらずになんとかして暮らしていこうとしている少女の話から始まった話が、どうやって、日本の、私にとってもかなりなじみ深い、川崎と大田区をはさむ地域の、2021年8月26日のクライマックスにたどり着くのか。読んでのお楽しみ。

 もうひとつ、蛇足のような感想だが、読んでいて、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が頭の中で何度も再生した。疾走感、爽快感すらある暴力描写。それが宗教の祝祭のような非現実的イメージにまで昇華する。特殊な生い立ちにより、肉体と行動(暴力が先行する人間の中での「ことば」「概念」の、独特の成長。言葉や概念を、普通とは違う形で獲得していくという過程を追う、それを一人の人間の成長として追いかけるという、きわめて純文学的な側面を、この小説も持っているのである。何を言っているかわからない?うん。読んだら、すごく分かるよ。

 とにかくこの世の極限的暴力と犯罪がわんさか出てくるので、そういうの苦手な人にはお勧めしません。が、そういうものが単なる残虐さではなく、ひとつの文明・宗教の世界観の中から生まれてくること、そういうことを通じて世界を理解するという覚悟のある方には、超おすすめの傑作小説でした。エンターテイメントであり、世界文学であり、言葉と人間の成長をめぐる純文学でもありました。

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