魔法の言葉

前回の話はもう引っ張るまいと思いながらもう一つ。

少年野球の時の事。

母が試合を観に来た。私は相手チームのピッチャーに野次を飛ばしていた。「ピッチャーびびってるよ!」「ノーコンだからフォアボール狙え!」当時は野次なんて当たり前で相手を動揺させるのも作戦の一つ。実力が及ばなければ心理戦だ。勝ってこその野球。最悪相手を怪我させても勝つ。そんな雰囲気だった。

そこにネット裏から母が近づいてきた。後ろから小さな声で「相手の悪口を言うなんてスポーツじゃないよ。今すぐ野球辞めなさい」こっそりと私にしか聞こえないように言った。

当たり前の事が当たり前でなくなった瞬間だった。その回からあまり声が出せなくなり監督に「声が小さい!」と怒鳴られた。

言われて嫌な事をなぜ平気で、しかも大声で言えたんだろう。みんな言ってるから? 自分はなんて馬鹿だったのだろう。私は自分の浅はかさと周囲との調和、相反する思いに悶々とした。

その数年後、相手の実力を下げても自分の実力が上がったわけではない。声援だけ力いっぱいやればいい。簡単な事だと気づいた。


途上国の山岳地帯を数人で旅していた時。

「こんな経験が出来たのはみんなのおかげだ。感謝してもしきれない」と私が皆に話した時、そのなかの一人が言った。

俺たちのおかげじゃない、あんたの人格があるから今のメンバーが集まったんだ。だから秘境まで来れたんだよ。おれたちはいいから自分の人格に感謝しなよ。

びっくりした。そんな見方もあったのか。そんなふうに自分を俯瞰で見たことがなかった。

自分は人の役に立っていたのか?人に喜びをもたらす事が出来るのか?出来たんだな。自分を認めてもいいんだな。

神様ありがとう。俺、けっこういい人生歩んでるのかもしれません。

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