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穏やかな風が吹いていた

初めて過呼吸になった。
別にそれ自体は大したことでもないし、特段の心配をして欲しいわけでもない。
ただこの日気づいたことは鮮やかで、未来の自分に書き残しておきたいと思った。だから書く。

お盆前からだいぶ仕事ではち切れそうにはなっていた。3泊4日、2泊3日の合宿型研修のファシリ業が連週続いていたし、同時に目標数の集客を達成しなければならないというプレッシャーも抱えていた。それに加えてパートナーと将来を見据えた大事なお盆休みがあって、でも休みの間も仕事を置き去りにすることはどうしてもできなくて合間を見てはタスクをしていたら胃痛になり、一時お粥以外食べられなくなった。(本当に美味しそうなものがたくさんある環境だったからすごく残念だったし、パートナーもそれに付き合わせてしまって悲しかった)

帰ってきたら、別案件で提携企業からの催促があり、それに応えなければ僕らの団体として大きな痛手を負うことはわかっていても、目の前の集客と、オンライン研修のファシリも控えていて動くことができないから朝5時に相談のメッセージを飛ばしてみるものの、一向に返事はない。(相手も忙しい。それもわかっている)
やらなくてはいけないことが山ほどある。
自分を大切にしなきゃいけないという言葉は、僕も人に言うし、痛い目を何度も見てきたからわかっているつもりではある。でもこんなにやらなくてはいけないことがある中で、みんなもいっぱいいっぱいで苦しんでいるのを知った上で、どう自分を大切にすればいいのかなんてわからなくなってしまった。
自分を大切にできない時は、いつもこんなことの繰り返しのようにも思う。

いろんなものが降りに降り積もったその日、集客ミーティングで上司の通訳をしていたら、彼のボルテージが上がっていき、僕はとうとうその彼の言葉を通訳することができなくなってしまった。責任を問う彼の言葉を一回自分の中で咀嚼して、該当者に向かって吐き出す行為を、僕は抱えきれなくなってしまった。
手元のノートにはそれ以外にも山積みになったタスクが並んでいて、それにも関わらず時間が伸びているこのミーティング。コミュニケーションに難があり思うところ多々。嗚呼。
まず怒り。その後に震えが来て、頭の中がパニックになった。何を問われても、思考が回らなかったから、オンラインだったそのミーティングを退出した。次のミーティングも5分後に迫っていた。この震えを止めなくてはいけない。呼吸が速くなっていたことを感じていたから、ゆっくり呼吸しようと試みたつもりではあった。
上司から電話がかかってきて、大丈夫かと聞かれた。呼吸が速くてまともに答えられなかった。すぐに行くと言われて電話が切れた。
途端に涙が込み上げてきて、訳がわからないくらい咽び泣いた。こんなことはいつぶりだろう。手が痺れて動かなかった(テタニー症状。調べてみれば別に大事ではない)。でも早く元通りにならないと、やるべきことができない。こんなことをしてる場合じゃないと思った。上司が来て袋を口元に当てた(ペーパーバック法)。でも彼にこんなことをさせている場合でもないのだ、本当は。こんなことをしているからやることが終わらない。早く働かないといけない。そう思うと息が速くなって「ゆっくり呼吸をして」と言われて、また咽び泣くしかなかった。
「1人でどうにかします」と言ったら、「治るまでここにいるから」と言われた。彼は上司である以前に、友達だった。
倫理的にとかハラスメントがどうとかいう視点で見たら難ありだと思うが、彼は役割ではなくそこに居て、なんだか楽しそうに冗談を言いながら笑っていた。
窓の向こうにある海から直接吹き込んでくる風を受けて「今日は風が気持ちいいなあ」と言う。

治ってから、思っていたことを口にした。
最後に「ごめんなさい」と言ったら、「俺も悪かったからごめんなさいは無しな」と言われた。
すぐ次に控えていた2本のミーティングは欠席することにして、昼寝をした。1時間くらい寝ていたと思う。起きたらカーテンがはためいていて、穏やかだなぁ、と思った。
お昼ご飯を近所の海が望めるカフェで予約していたので向かうことにした。町の細道を2〜30キロくらいの速度でゆっくり向かった。普段走っている速度と心持ちとで見える景色とはまるで違って見えた。
車を停めてカフェに降りていくと、海がきらめいていた。美しいなぁ、と思った。
カフェで人と会って、他愛のない話をした。居心地が良かった。

一本欠かせない海外とのミーティングをしてから、友達が浜にいることを聞いて車で向かう。車を停めたらそこでまた別の友達と出会う。
「またばあちゃんのところで会おうなあ!キャンプ行ってくる!」
楽しそうに彼らが去っていく姿を笑顔で見送った。

海を見ながら、友達と話した。お互いの過呼吸のエピソードを笑い話にしてから、これからのことやお金のこと、「選ばれる側にいることについて」と物語の話をした。
彼女を宿泊先の家まで送って、シェアハウスでみんなでご飯を食べて、お風呂に入って、パートナーと今抱えている不安とこれからのことについて0時過ぎまで電話した。

朝感じていた焦燥感は無くなっていて、心は穏やかだった。過呼吸になった午前中のことは、まるで無かったことかのようにも感じる。

でも確かに朝、自分は苦しくて悲しくて必死だった。「やらなければならないことをやらなくちゃ」と思うのに身体が全く動かなくて悔しかった。身体を震わせながら咽び泣いて「こんなことをしてる場合じゃない」と焦っていた。
苦しかった。
それでも冷静になった今、こうして振り返ると「そんな苦しみは大したものではない」とか「世の中にはもっと苦しんでいる人がいる」とか、誰に言われたわけでもない言葉が頭の中に浮かんでくる。苦しくなって楽になったその後には、どこからともなくいつも聞こえてくる。
でも別のところから聞こえてくる声もある。

「苦しみは、人のものと比べられるものじゃない。あの時確かに苦しかったことは、否定せずに、苦しかったのだと認めてあげたらいいよ。自分で労って、癒してやろう」

この文章が、癒しであり、自分の糧になりますように。

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