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「医師だから医療のキャリアを」…この思い込みから離れたら
産業医・元産婦人科医・医療ジャーナリストの平野翔大です。
専門医取得への道半ばでキャリアチェンジをした、専門医資格なし・学位なしの医師6年目ですが、臨床で気付いた課題を解決すべく、産業医・社会事業家・ヘルスケア事業のアドバイザー・医療ジャーナリストと幅広く活動しています。狙って進んだキャリアではなく、計画性もあれば偶発性もあったキャリアですが、今は充実した日々を過ごしています。
2023年12月までは医師のキャリアイベント「医師100人カイギ」の司会も務めており、さまざまな先生のキャリアにも触れてきました。このたびの連載では「医師の臨床外でのキャリア」の一例として、私がどのようにキャリアを構築していったか、ご紹介させていただこうと思います。
前回の第7話では、日雇いのワクチンバイトから安定したバイトになんとか進めたエピソードから、産業医の就活を通じて感じた「挫折」についてご紹介させていただきました。
今回の第8話では、「社会医学」への歩みを進めるにあたって経験した、大きな「マインドチェンジ」をご紹介します。なお、期間的には第7話のエピソードと同時期・並行で、前後関係ではないため、やや話が前後しますがご容赦くださいませ。
徹底的なインプット、そして多くの出会い
第3話、第4話で「社会医学分野から医療の社会問題に取り組む!」と大言壮語は掲げたものの、具体的な専門性は持っておらず、まずできたのは、ただひたすらにさまざまなところで学びをしてみるのみでした。
第6話の最後にご紹介したように、簿記・FPを取得したことから医療経営に興味を持ち、医療経営士を取得したことで、医療経営の勉強会に定期的に参加できました。その他にもFPの勉強会などもありましたし、徐々に行動制限が緩和されリアルの勉強会も増えていました。
この時期は昼にワクチンバイトを行い、夜はさまざまな勉強会にオンライン/オフラインで参加してみる日々でした。月の半分近くは何かしらの学びの機会を持つようにしていましたし、移動の電車ではひたすら本や動画メディアで学びをしていました。
また、これらの知識をアウトプットする形で、今ではプロピッカーとなったNewsPicksでの発信もしていましたし、m3.comメンバーズメディアでの発信も実は再開していました(連載『後悔しない!初期研修選びのコツは?』)。
これらの勉強会で多くの新たなキャリアを歩んでいる医療職、そして他業種でもヘルスケア業界で精力的に活動する方々にお会いすることができたのが、大きな変化のきっかけになります。臨床や会社という枠に縛られず、幅広い分野をまたいで活躍する人が世の中にはこんなにも多く存在するのか、ということに驚く日々でした。
「産婦人科医学・医療」という狭い分野に「集中」していたのが専攻医の1年超とするのであれば、この時期は自分の興味・知識を一気に広げ、さまざまな知識・人と触れ合った「発散」の時期と言えます。
この中で出会ったのが「越境」というワードです。
自らも「越境活動」を志す
前回ご紹介したように、医師という資格で私はなんとか食いつないだようなものであり、資格を所持していたことを本当に良かったと思いました。しかし同時に、この資格が「自らを無意識に縛るもの」であることにも気付いたのです。
「医師であるなら医療に関するキャリアを歩まなければならない」という思い込みから、臨床から離れても医療経営など「病院に関わる」キャリアにしか目が向いていませんでした。しかし、特に医師の起業家などは臨床にかかわらないキャリアも含めて活かし、まさにさまざまな業界を「越境」して活躍していました。
「バイトで生活が保てるなら、さまざまな越境活動にチャレンジできる」
そう感じた私は、一気にそれまでの「無意識の思い込み」から離れさまざまな職業の方と話し、自らのキャリアを探るようになりました。その中で多くの方と話が合い、お誘いいただいたのが戦略コンサルティングの分野。
特に長い付き合いで戦略コンサル勤めの友人が、「学生時代からの君の考え方や能力、そして短くても臨床で見てきた景色は、ウチで必ず役に立つと思う」と言ってくれたことを機に、コンサル会社のリファラル採用を受けます。
実は、このリファラル採用は内諾までいただき、ともすればコンサルへの転身を果たすかと思われたのですが、最終的にはお断りすることになります。
「勤める」だけではない可能性
前述の「越境活動」をする中でもう1つ出会った分野が、「ヘルスケア事業」の分野でした。医療・健康には多くの課題があり、同時にそれは医療従事者だけが取り組んでいるわけではありませんさまざまな企業、そしてスタートアップ/ベンチャー企業もヘルスケアの課題を解決したいと、ビジネスとしてアプローチしています。
医療経営の資格を持っていたことから、たまたま知人の縁であるヘルスケアベンチャー企業の相談(「壁打ち」ということが多い)を受けることになりました。このベンチャー企業の創業者(=起業家)の事業説明で出てきたのが、私の人生を変えることになる、経済産業省による起業家育成プログラム「始動 Next Innovator」です。
当時の私は、次のキャリアを「どこに就職するか」ということを前提に考えており、だからこそ専属産業医やコンサル会社をメインに考えていました。副業での執筆などはするとしても、「自ら起業する」という選択肢は考えすらしませんでした。
しかしこの起業家は看護師でもあり、臨床経験を活かして自ら起業し、課題解決に挑んでいたのです。「医療者にも起業という選択肢がある」ということに驚くと同時に、この「始動」へのエントリーが、相談を受けた1週間後までであることを知り、「なにかの運命だ」と、半ば勢いでエントリーを決めました。
実はこの「始動」のエントリーにあたり、自らが解決したいと提出したテーマこそが「男性の育児参画」、今の私の中核となる活動なのです。
クロージング
前話と合わせ、自分の次のキャリアとして描いていた「専属産業医」が難しくなり、同時に「戦略コンサル」という可能性が見えてきました。しかし同時に「起業家」という道があり、これと「嘱託産業医」を組み合わせる、つまり会社などに属するのではなく、個人事業主として両立するという新たなキャリアの可能性が見えてきたのです。
結果としてこの道を取ったのが今の活動につながるわけですが、自分で切り拓かねばならず、当時でいえば最も不安の大きい選択肢でした。
しかしさまざまな方と出会うことで、常勤雇用されることだけが働き方ではないこと、そして第4話でご紹介したように、「医師だからこそ多様なキャリアを歩みやすい」ということに気付き、大きなマインドチェンジを果たした結果、決意を持ってこのキャリアに踏み出します。
ここまで8話をかけて、私の挫折から再起のきっかけまでまとめさせていただきました。自分でも振り返ってみると、本当に色々悩んだことが思い返されます。
次回の第9話からは、経産省の「始動」という「起業家というキャリア」、そして嘱託として始めた「産業医というキャリア」、それぞれに踏み出してから気付いたことについて、キャリアの歩みと共に記していきます。
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