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格差の問題に興味を持つことに思うところ

社会課題に興味を持てますか?

正直、この問いに「はい!」と即答できません。例えば格差の問題を語ろうとする時。なによりも、自身が問題として感じた経験がないと、「興味は持ってます」という言葉がただの自己暗示のように感じてしまいます。資料を見て知識だけ得ても、まるで受験勉強をしているような感覚になってしまいます。

物事において興味を持つ、ということは、思考をする上で非常に重要なことだと思っます。

興味を持ちたい。

どうすれば興味が湧くのか。

でも興味なんて、無理やり持つものでもないでしょう。

興味の連鎖、という言葉が浮かびます。自身で興味のある事項が、やがて様々な社会問題に行きつくイメージです。これによって、もし格差の問題にまで辿り着ければ興味を持つことができそうです。

私の社会課題への興味の原点。それは、喘息だった子供時代の実体験を通じての「環境問題」に他なりません。格差という問題を考えようとするにあたり、ここからスタートするのが良さそうです。

環境問題といえば、「持続的な社会を目指す」というキーワードが出てきます。今から20年前、学生時代にダイオキシン汚染土壌と格闘していた頃、教授がよくこの言葉を話していたことを思い出します。最近は「SDGs」としてクローズアップされてます。

SDGsを調べていくと、持続的な社会を目指すにあたり、土壌汚染や海洋汚染といった環境問題だけでなく、様々なことに目を向けなくてはならないことが分かりました。その多くの問題の共通事項として、「多様性と格差」という課題が、SDGsの様々な問題にちりばめられていることを知ることができました。

そこで、環境問題から連鎖してこの「多様性と格差」に興味を持てるかなと思ってい、SDGsとの関連を改めて深堀しようと調べてみました。

しかしながら、難しすぎる!

色々な事項がお互い関係しあい、複雑で掴みずらく、いくら資料を読んでも、どうしても「受験勉強の学習」感覚が抜けず、自分の考えとして入っていきません。困ったものです。

そこで、ふと自分の座右の銘を思い出しました。

「すべての物事はシンプルである」-エリヤフ・ゴールドラット

自分なりに、エンジニアらしく、この多様性と格差の問題をかみ砕き、シンプルにとらえてみよう!という試みです。問題を捉えること自体から考えてみるです。そう考えると、この複雑そうに見える課題に対して取り組んでいく興味と意欲が湧いてきました。

得意な工学的な思考で問題を捉えてみます。

格差を考えるとき、範囲が必要です。町の中の格差なのか、日本の中の格差なのか、世界の中の格差なのか、で思考が変わっていくことが想定されるからです。

次に、格差がある、というのであれば、それは集団での差異を示すはず。集団を示すイメージが必要です。

また、その集団は多くの「人間」で構成されているものです。

これらの範囲の中で、人間で構成された集団を、なにかしらの事項で「分断」しているのが格差、と定義してみましょう。そして、この「分断」がほとんどない状態を「多様性が認められた状態」と定義してみましょう。

すると、なんとなく「仕切りのある箱にあるコマたち」で格差をシンプルに捉えらえられそうなアイディアが浮かびます。

格差の問題を考える「場」として箱の大きさが決定されます。

箱の中には「仕切り」という分断により、エリアで区切られた集団が形成されます。

集団は人間という、各エリアにある意志のあるコマで構成されているのです。

隣のエリアからエリアへは、仕切りがるために、コマは簡単に移動することはできません。この状態が分断を示し、格差がある状態とすると、どんな対策が有効か模擬的に考えることができます。

仕切りを低くすることで移動しやすくなる対策があるでしょう。

仕切りに穴をあけて移動する方法もあるかもしれません。

仕切りにはしごや階段を取り付けて移動する方法もあります。

こうした移動において、検問のような機関があるかもしれません。

箱の底に穴をあけて、となりのエリアまで掘り進むこともあるでしょう。掘られたとなりのエリアからは苦情がくるかもしれません。

または仕切りを無視して、天から釣り糸を垂らし、その糸に気づいた少人数だけ引っ張り上げる機構があり、隣のエリアに移動できるかもしれません。

この仕切りという「分断」をコマが乗り越える方法はいろいろとあることが分かります。世の格差に対する問題と対策は、こんな形で箱の状態に当てはめて考えるとイメージしやすそうです。

そこでふと思うのです。この仕切りを、もしイキナリ完全に無くしたとしたらどうなるのだろうかと。おそらくですが、集団を構成する人は、簡単には動かないのではないでしょうか。人は変わらないことを望むものです。異なるエリアに行く知識と意欲がないと、たとえ仕切りがなくなったとしても、その場にとどまることを選択しそうです。

これはつまり、仕切りという「分断」そのものを取り除いても、人々の移動する意欲と知識がないと、格差は解消されないということを意味するものだと思います。つまり、「分断」の原因を単に取り除くだけでは、「多様性」を認め合う状態にはならないということです。初めに「分断」がほとんどない状態を「多様性が認められた状態」と定義してみましたが、分断が無くなり、さらに人々が格差から動こうとする意思がある状態になった時が、多様性が認められる状態なのかもしれません。一方、皆がいきなり移動すると、となりのエリアが一時的に過密状態になって箱が壊れるかもしれませんので、こちらにも注意が必要そうです。

また、もし仕切りがいきなりなくなると、箱が壊れてしまう可能性があります。仕切りは箱(という社会の場)の形状を支える重要な役割も担っているからです。このことは、「分断」という事象は、社会を支えている一面もあるということを意味していると思います。仕切りをいきなり取り除かず、ある程度強度を保つように柱や梁として残しながら、問題の解決にあたっていく必要がありそうです。

ちょっとした思考で、環境問題から始めて、格差を考えるオリジナルのフレームワークを作ってみました。これにより様々な種類の格差問題をイメージし、時にはこのフレームワークを修整することで、問題を多角的に捉えて自分の意見を検討し、自分が何を行動できるのかを興味を持って思考して、問題意識を持つまでに醸成していこうと思います。




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