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背もたれのある椅子

ごきげんよう。わらわです。

本日は、『依存』をテーマにお話します。
重い!
でも安心してください。本をロクに読まない私の言葉です。きっと羽毛より軽い。

本題。

少し前の記事にちょこっと書いた通り、私が精神科を受診したきっかけはだった。

いい歳こいても飲み会の度に深酒し、気がつくと深夜の道を彷徨っていた。
何回か命を落としていても、おかしくはない。
それでも、酒を飲み続けていた。いや、飲まれ続けていた。自ら望んで。
終いには1人でも寝るまで飲むようになっていた。

飲み会など、機会があるときだけ酒を飲むことを文字通り機会飲酒と呼ぶ。
対して、何も用事がないのに飲み始めることを習慣飲酒と呼ぶ。実はアル中予備軍である。
正常な人は毎日お酒を飲まないし、飲みたいとも思わないらしい。

自覚のある方は気をつけて…と言いたいが、痛い目みるまで辞められないのよ。アル中あるある。
本気で嫌になる時がいずれくるので、それまでは飲みましょう。
辞めたいけど意志が弱くて…と考えている方。
意志ではやめられません。医師を頼りましょう。

私の場合の痛い目は、私が飲み潰れても何度か黙認していた恋人の反応が、ある時、明らかに違っていたことだった。

何度か口先だけの謝罪をしては泥酔、を繰り返していたが、自分が飲み潰れた頻度を履歴から確認した。1-2か月に1回やっていた。
明らかに異常者だなと、とうとう自覚した。

断酒する旨と精神科の受診を伝えて最後のチャンスをいただいたが、程なく私はうつになった。
うつ状態がひどかった時に醜態を晒し、そこから連絡をとれていない。

が、それはまた別の話。

私はすっかり酒に依存していた。
飲み始めたばかりの頃はまずいと思っていたはずなのに。
気がつけば、美味しい上に眠くなれる。最高か?
最後には、味すらどうでもよくなっていた。
今日という日を終わらせる。それだけのために飲んでいた。
生きていたって何も楽しいことなんかない。潰れて起きてこられなくなっても別にいい。と思って飲んでいた。

…。
酒をやめる前から、おかしかった。
酒のせいでおかしくなったのか、おかしいから酒に溺れたのか、よくわからないが。

元々、依存症の気はあったのだろう。
たまたま依存する対象が、比較的まずいことになりやすい酒だった。
散々周りに迷惑をかけてこんなことを言うのもどうかと思うが、私は運が良かったと思うことにしている。
もっと依存に気づきにくいものだったら。
それをやめた時、私の心はもっと深く壊れていたかもしれない。

そんな私でも、酒をやめて4ヶ月半くらい経つ。
今となっては酒を飲みたいという気持ちは微塵もわかない。
私は自分が何かに依存しやすいことを自覚した。
酒を飲みたかった訳ではない。
苦しみしかない“いま”から逃げたいだけだった。

“いま”をやり過ごすために寝ることが有効だと本能は気づいていたようだが、私は寝るための手段を酒しか知らなかった。

しかし今は、睡眠薬がある。
今の私はこいつにすっかり依存しているだろう。現に、睡眠薬を飲まないと寝つけない。

漫然と飲んでいるなと思って飲まないでみたら、全く寝付けず深夜に結局服薬。
生活リズムが荒れ直した。
普通の人間になれると自惚れちゃいけない。
まだお前は、薬がないと寝られない病人だよ。

アルコールから睡眠薬に依存先が変わっただけ。
しかし、アルコールと違って、睡眠薬を寝る前に飲んだところで、誰にも迷惑はかからない。
1錠10円程度だ。酒なんかより全然安い。
毒性もよっぽど低いだろう。
何より今回は、私は依存している、という自覚がある。

精神疾患は0/100で捉えられがちだが、こだわりが強すぎるとか、ある性格が一定の閾値を超えてしまって、自分の生活に悪影響を及ぼすと病気だという診断を下される。グラデーションなのだ。

依存症も同じこと。
人間は誰しも何かを拠り所にして生活を送っているが、拠り所が悪くて、さらに寄りかかり方がひどい場合に、依存症と呼ばれるのでしょう。

自分はどんなことがあっても、一切何にも寄りかからず生きていける、という人間がいるなら見てみたい。心の体幹、えぐすぎる。

酒、色、ギャンブルは人生を壊すと言われる。
何かに依存しやすい人は、寄りかかり場所を探し続けた結果、昔から大体このどこかに落ち着いてしまっていたのだろう。
きっと位置エネルギーが低いのですね。
あるいは全部かもしれないが。
最悪の役満だが、聞かない話ではない。
いまはゲームやSNSも、この仲間だろうか。

辛い時に何かに寄りかかるのは最早、長い歴史で人間に刻まれた本能だろう。でなければ、椅子に背もたれがあることの説明がつかない。

生きていることが辛いと感じてしまうなら、何かに依存して生きるのはもう仕方ないだろう。
依存して死なずに済むならマシだと考えると、本能がそうさせているとしか思えない。

それならせめて、自分にも他人にも影響の低いものに依存するか、できなければ依存のしかたを工夫するのが賢いのでしょう。
そして何より大事なのが、自分が依存していることを自覚して、依存すること。

泳いでいることに気づかないまま前に進み続けると、いつか帰ってこれなくなる。
泳いでいることに気づいていれば、これ以上はまずいなというところで、泳ぐ向きを変えられる。
浅瀬を延々泳ぎ続れば、溺れることはない。

私は最近やたら買い物したくなってしまうが、生活必需品以外は基本100均だ。
1万円消しとばすにも、100個モノ買わないといけないから大変よ。
累計でもまだ行ってなさそうw

本日は以上です。読んでくださり、ありがとうございました。

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