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ジェンダーの支配


※解離性障害についての部分は、引き続き、話半分でお願いします。
*虐待のエピソードの記載があります。

解離によって生まれたらしい自分の一部について、メインの人たち(人と言っていいかはわからないが、便宜上)とのコンタクトはほぼ終わったような気がする。予想していたように、ネガティブな人もいた。とはいえ、攻撃的な人はいないようだし、ネガティブな人たちは普段はあまり表(現実)に近いところにおらず、凍結とか休眠の状態にあるみたいだ。ただし、職場で起きたような事件(過去の虐待をトレースするような出来事)があると、身の危険を察知するためか覚醒して、表の私に影響を及ぼすことがあるように思える。

表に近いところには、だいたいは18番や23番、18歳の私(女性の方)がいる。彼女たちは、知性や芸術(18番)、優しさと抱擁(23番)、明るさ(18歳の私)に特化しているようなので、まあ、なんというか、自分で言うのもおかしな話だけれど、どこかふわふわした、妙に子どもっぽいところの残る、絵と音楽と動植物が好きで、自分にネガティブな気持ちをあまり持っていない、人間から触れらるのが嫌で、「標準」とはどこか違う感じのする得体のしれない中年の男性が一人出来上がることになる。

「得体の知れない」のは自分自身でも感じていて、普段は自分の性別や年齢を忘れており、周囲の状況に応じて「おっとこれはいけない」と気を引き締めなければならないなど、ちょっと面倒でもある。

不思議なのは、自分の一部として女性ばかりたくさん見つかることで、男性もいるのだけれど彼らは基本は後ろに隠れているのかあまり目立たない。それは、生まれてから20歳まで続いた虐待や家庭不和によって彼らが壊れてしまったからなのか、母親が息子に対してあたかも娘や自らが得られなかった理想の母の役割を担うことを求めていたからなのか、ノンバイナリーとして生まれたからなのか、遺伝子のいくつかの場所に予期せぬ変異があった(ごく軽度のインターセックスの疑いがある)からなのか。内面を探してみてもよくわからない。いずれにせよ、誰にも理由はわからないと思う。

それでいて、外見が男性であることは別に嫌でもない。おそらくは女性の人格との重なりが大きくなったときとは思うが、たまに身体の違和感を感じるぐらい(特に23番とは重なりやすいみたい)。よくこの状態で生きてるな、私は。でも、それは彼女たちのポジティブさのおかげだと思う。

ところで、解離性障害には「障害」という名称がついているが、これは身体や心のエラーでは決してなくて、人格が完全に壊れかねない過酷な環境へのあたりまえの最適化の結果なんじゃないんですかね?ということを感じる。私の育った環境は女性の人格を作り出すことが有利だったんだろうな、とも。たまたま、最適化の方向が現実の生活と齟齬をきたすことが少ない方向で一応は普通に生活できているのはラッキーだったと思うし、人によってはその方向が齟齬をきたすことも当然あるわけで、そういう状況にある人はやはり公的に保護すべきだと思う。


***


もし、体が女性で生まれていたら?

自然にそう考えてしまう。

祖母は、はいはいして近づいてくる赤ちゃんの私を蹴って土間に落としたりはしなかったのではないか?
その可能性は、男子であることを憎んでいた父方の系譜を考えるとある。

母との軋轢はより大きくなって悲惨で致命的なな結果を辿っていたのでは?

社会との関係では、愛着障害(両親ともに酷い虐待を受けて育っており、無秩序型の愛着関係であったことは確かだと思う)をいいように利用されていたかもしれない。

男性として生きていても愛着を利用してくる奴らはいる。女性であれば、より酷いことになる可能性は確実に高くなる。しかも、彼女たちは保護されるどころか非難される。自立した生活をすることを考えても圧倒的に不利である。未だに。


変な話だよね。


あまりに皆、普通の顔をしていながらジェンダーに支配されすぎでは?


実は、自分が成長の過程でバラバラになってしまったらしいと気づいたことよりも、その方が怖い。

心底。


*Death and Vanillaというスウェーデンのグループの曲。イントロがとても長いがそれを超えて現れる展開がとてもいい。そして歌詞もこの記事にあっている。