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しょみずの幸せコラム

自分の持っているものを、十分に自分にふさわしい富と考えない人は、世界の主となったとしても不幸だ。


こちらはギリシャの哲学者、エピクロスの名言になります。


彼の言葉を現代風に言い換えると

「富とか名声、立派な配偶者が欲しいなんてグダグダぬかしてるそこのお前! そんなマインドじゃ、いくらそれらを手に入れても幸せにはなれねえぞ! 高級マンションにあこがれる前になぁ、今住んでる四畳半のアパートでとりあえず幸せになっとけ!!」

という意味です。


このエピクロスの名言を聞いて、全く納得できない人もいるかもしれません。「はぁ?何言ってんだエピクロスさん。幸せっていうのは追い求めるものじゃん。四畳半のアパートじゃ幸せにはなれないよ!」と感じる方もいるでしょう。もしかしたらそんな感想を持った人のほうが多いかもしれませんね。

確かにその、「エピクロスなんやねん」という感想はごく自然です。アパートではなくて高級マンションに住みたい気持ちは凄い分かりますし(というか僕も住みたい)、素晴らしい社会的地位を築いて理想の人と結婚したいというのも自然な感情です。


しかし、結論から言いますと、人間はこれらの物質的な要素(高級マンションなど)を追い求めていっても幸せにはなれません。

エピクロスは正しいのです。


なぜかって?

「人間は物質的な要素を追い求めていっても幸せにはなれない」ことは歴史が証明しているからです。


ここ数十年、世界中がえげつないくらいの経済成長をしてきたのは皆さんご存じでしょう。現代、世界全体のGDPは、1960年の約60倍の数値になっています。

ということはざっくり考えて、僕たちは1960年代以前の人間に比べ「60倍高級な家に住み」「60倍の預金を持っていて」「60倍健康になれるようになった」ということですよね。よっしゃー!現代すげぇー!


さて、この事実を踏まえた上であなたに一つ質問があります。



この経済成長で人間は60倍幸福になったと言えるでしょうか?



残念ながら、答えはNOです。

これには割としっかりした根拠があります、「幸せ」っていうのはもちろん超重要テーマですから、世界中でめちゃくちゃ偉い教授たちが物凄い数の調査をしているんですよね。その結果、この物質的な欲求を追い求め続けた経済成長では人間はその分幸せにはなれていないことが、明らかになっているのです!





では「人間は物質的な要素を追い求めていっても幸せにはなれない」という理由を具体的にいくつか見ていきましょう。


まずは自殺率。


伝統的な社会に比べ、先進諸国の自殺率はかなり高いことをご存じでしょうか。先進諸国の方が、繁栄していて快適で、安全なはずなのに、より多くの人が自ら命を絶っているのです。例えばペルーやフィリピン、アルバニア等の途上国では、毎年自殺する人が10万人当たり5人ほどなのに対し、スイスやフランス、日本などの豊かな国では10万人当たり約10人ほど、おおよそ二倍の人々が自殺を選んでいます。

そのなかでも特に顕著なのは韓国の例です。

韓国がこれまで凄まじい経済成長をしてきたのはご存じでしょう。1985年には比較的貧しい国の一つで、独裁政権に支配されていたのですが、今では言わずと知れた経済大国です。教育水準も高いし、比較的自由な民主主義を持っている。一見、さぞ幸福度は上がったのだろうな~と思えるのですが、韓国の自殺率の推移をみると驚いてしまいます。1985年には10万人当たり約9人の韓国人が自殺したのに対し、今では10万人当たり36人が命を絶っているのです。


と、センシティブな話題なので淡々と書いてきましたが、いやいやヤバいだろこれ!と思いませんか?

経済成長の結果、自殺者が増えてしまっている。経済以外にも様々な要因が関係しているとはいえ、これじゃあ経済成長なんてしないほうが良かったんじゃないか?という人が現れても無理ありませんね、、


もちろんこれとは真逆の良い側面もいっぱいありますよ。例えば、赤ちゃんが生まれた瞬間に死んでしまうことは、非常に稀になりましたし、医療やシステムが整備されたことにより生活の中の様々なストレスは緩和されています。ただ、それによって私たちの幸福度が上がったのかというと、経済成長のレベルのわりに全く大したことはありません。かなりショボいです。


先ほどGDPの話をしましたが、今度はエネルギーの話をしてみましょう。石器時代の人々は一日当たりおおよそ4000キロカロリーのエネルギーを消費していたといわれています。

そんな話をされてもよく分からんと思うかもしれないけど、まぁ聞いて下さい。彼らが飯を食って、なんかしらの動物を焼くために火を起こしたり、服作ったり、絵を書いたり、一日でしていた色んな諸々を加味して4000キロカロリーです。


そいじゃあ次、現代人(アメリカ人)が一日当たりに消費する平均カロリーを発表します。

彼らの消費するカロリーは、、、



228000キロカロリーです。


えぇええええ!こんなに!!石器時代の人類の約60倍ですよ、60倍!(くしくもGDPと同じですが笑)でも、ちょっと考えてみてください。誰がどう考えても、今の人類が当時の人類の60倍幸せになってるかっていうとそうではありませんよね。超適当ですけど、あんまり死なないからということで良くて1.2倍くらい?


これってなんかバカバカしくありませんか?

例えるなら、原価の60倍お金をかけてラジコンを改造し、タイヤやボディ、リモコンなどを最高級なものに取り換えたとしましょう。そして、「よし、ここまでお金をかければさぞ速く走るだろう!」と意気揚々とアクセルをオンにしてみたら、前のラジコンとほとんど同じスピードで走り始めたような、、、そんなバカらしさ。


ちなみに日本に関するデータもあります。

日本は1958年から1987年にかけて、平均所得が5倍に増えました。俗に言うバブルってやつですね。当時、日々の生活が物凄い豊かになったのを実感していた人もいるでしょう。では果たして、その前後の「日本人の幸福度」にはどのくらいの変化があったのでしょうか?

もう答えを言うまでもないかもしれませんね。


バブル前後で日本人の幸福度はほとんど変化していませんでした。

50年代の日本人は、90年代の日本人と同じくらい人生に満足していたり、不満を持っていたりしていたのです。


とまあここまで、「経済成長と幸福度は比例しねぇんだよ!」という話をしてきたわけでありますが、これって実は当然のことなのかもしれません。

だって、料理に関するあの名言を思い出してください。最高のスパイスは一体何だったでしょうか?超高級ハーブでしょうか?それとも幻のパウダーでしょうか?


違いますよね。答えは空腹だったはずです。


人間というものは空腹がないと幸せになれない生き物なのです。飢え死にしかけている室町時代の農民に、山崎の薄皮クリームパンをあげたらどんな反応をされるでしょうか?きっと目を輝かせて何度も何度も感謝されるに違いありません。彼らはその味を一生忘れることはなく、生涯の思い出とするでしょう。

では六本木のタワーマンションに住む、エリート商社マンを満足させてあげるには一体何を上げればいいのでしょう。少なくとも薄皮クリームパンをあげても、一蹴されることだけは間違いありません。同じパンなのに、それに対する幸福度はまったくもって違うのです。


「幸せを追い求めるな!」とは全く思いませんが、少なくともしあわせに関する歴史を学ぶことは価値があるのかなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

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