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BGMの無い、車の中で。

自分が高校3年生まで住んでいた実家から、歩いて25歩。そこには祖父が住んでいた家がある。
自分の家とは作りが違いすぎる大きな家は、たまに行くととても不思議な感覚になったのを覚えている。25歩で行ける異空間だ。
今日ふと、僕が中学生の時に亡くなった祖父のことを思い出した。
なので、ちょっとだけ思い出を書きます。


祖父は無口な人だった。親戚一同がお盆に集まり、駐車場でBBQをしたり、正月はこたつに入り、みんなで鍋を囲む。そんな時も祖父はほとんど何も喋らず、でも笑顔でみんなの顔を見て楽しんでいた。
祖父の顔、背丈、服装、全部すぐ思い出すことはできるのに、声だけは、あれ、どんな声だったっけと少し考えなければならない。それぐらい無口な人だったと思う。対して祖母は、誰よりもおしゃべりで愉快な人なので、その対比も今思うと素敵だなと思ったりしている。

祖父の職業は電気工事士だった。ある時、家のこたつが壊れたのだが、父がそのこたつを祖父の家に持って行くと、次の日には、なおったこたつが戻ってきたことがある。今思えば電気工事を生業にしている人からしたら、こたつを修理するなんて朝飯前なのだろうが、「おじいちゃんってすげー」と心の中でめちゃくちゃ感心していたのを覚えている。

祖父の家には応接間があり、その部屋が自分のお気に入りの場所だった。なぜかというと、今はあるかわからないが、ひたすらアニメの再放送が流れているチャンネルを見ることができるテレビがあるからだった。特に理由もなく祖父の家に行き、昔のアニメの再放送をひたすら見ていた日があったのを覚えている。

25歩というなんとも言えない距離感の中で、たまに家に行って、たまに話をする。それが僕と祖父との関係性だった。

そして、ちょっとだけ気まずかった。

嫌いなわけでもなんでもないのに、無口で人見知りな自分と祖父が顔を合わせれば、そりゃちょっとは気まずくなるはずだ。気まずいというより、照れくさいという感じかもしれない。


祖父との思い出で、一番記憶に残っている情景がある。
それは、祖父と2人で乗った車の中だ。
両親の車はいつも音楽をかけていたのだが、祖父の車は、音楽もラジオもない「無音」だった。今だとなんとも思わないが、車の中にはBGMがあるものだと思っていた当時の僕は、車に乗っているのに音がないというのは少し奇妙だった。

どこに行ったのか全く覚えていないが、祖父の車でドライブをした時、その無音状態が非常に照れくさかった。どちらも話をしたいが話せない。車の中はかすかなエンジン音とウインカーの音だけが聞こえる。そんな空間だった。おそらく自分が小学生の時だったと思うが、今でもその情景をはっきりと覚えている。

叶うことはないけれど、もう一度祖父とドライブしたいな。
あの無音状態で。




えっと、何から話したらいいかな。
あ、とりあえず、ひさしぶり。
無口で人見知りな孫です。
あれから、ちゃんと高校卒業して、
大学に進学して、
好きな絵を勉強して、
で、いま社会人一年目。
23歳。
信じられる?あんなに毎日泣いてたのに。
友達もできたし、上司もできたし、
なんやかんや今のところ楽しい人生送ってるよ。
まあ、嫌なこともめっちゃあるけど。
最近は映画見るのにハマっててさ、
あと行きつけのラーメン屋ができたんだよね。

ってそんな話どうでもいいか。

ところでおじいちゃんは最近どう?

ウインカーの音が鳴る。
エンジン音が聞こえる。

車の中に、BGMはない。

祖父は笑顔で僕の話を聞いている。

また無音になってしまった。

まあ、おじいちゃん、また話しよ。
もうちょっと話のネタ増やしとくわ。

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