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幸せを遠ざける、「性」への固執。

1.プロローグ

現在32歳。盛大に女をこじらせている。
こじらせているって具体的になんなのか…と聞かれると答えに困るが、
とにかくここ数年、まともに彼氏はできていないし、結婚は夢のまた夢状態。
男性から向けられる好意が、下心か本心なのか区別がつかない。というかそもそもそれに区別が必要なのか?
区別がつかないから全部下心ということにして、向けられる好意に対してほぼ素直になれずにいる。というか、どうせ男なんてみんなエロいのが好きなんだろうと思っているし、エロ要素0の私に寄ってくる男のことは「どんだけ飢えてんだよ」くらいに冷めた目で見ている。
どうしようもないくらいにこじれている。そんな感じといえば大体伝わるだろうか。

2.「女」をこじらせた、一つ目の原因

私が女をこじらせたのには大きく二つの原因があると思っている。一つは父の存在だ。

わたしの父は、国際政治学を専門にしている学者であり大学教授だ。
だ、というよりはだった。
今はとっくに教授は引退し、海の近くの田舎町で母と2人のんびりきままな老後を過ごしている。

父は、わたしがこれまで出会ってきた人の誰よりも、圧倒的に博識である。
とにかくなんでも知っている。●●ってなんだっけ?と聞けば、辞書のようにすぐ答えが返ってくる。ただし一文では返ってこない。質問の答えに付随する様々な事象に話が派生することもあって、1聞くと100返ってくる。それゆえこちらに時間がない時に父に質問をするのは危険だ。

私の記憶領域は異様に狭く、ほとんどのことは覚えてもすぐ忘れるし、「説明をする」ということがこのうえなく苦手である。そんなわたしにとって、「なんでもインプットされていつでもアウトプットできる」。という父は、それだけで憧れの存在だった。
ただ、それ以上にわたしが父に憧れた理由は他にある。
他人やモノやお金に全く関心がなく、本さえあれば満たされるという、、その欲のなさと、何にも依存しない強さだ。

わたしは小さい頃から、父とは真逆の母に似た性格だった。
母は誰かの世話をするのが大好きなお姉さん気質でありながら、4人兄妹の末っ子長女故に、根っこは妹キャラ。
おおらかで優しい人柄と、周りが放っておかない愛らしい存在感で、とにかく誰からも好かれる人だった。
が、一方ですごく繊細な人でもあり、ちょっとしたことで自信を失って悲しんだり、些細なことで突然怒り出したり。。というエキセントリックな一面も持ち合わせている不安定な人だった。
わたしはそんな母のことを、半分好きで半分嫌いだった。こんな風になりたくないとどこかで思いながら、どう足掻いても似ている事実に愕然とした。
周りの人の存在に心を揺さぶられ続ける母を見るほどに、誰の影響も受けない父への憧れは強まった。

父に認められたいし、父のような強くてかっこいい人になりたいと、割と幼い頃から今に至るまでずっと思い続けている。

だからこそ父がわたしにかける言葉はすべて呪いだ。
父は「女々しい女は嫌いだ」「かっこいい女が好きだ」とよく言った。
私はそれをどう曲解したのか、父はほぼ「女が嫌いだ」と言っているのだと受け取った。
ゆえに、自身の体が女へと成長を重ねる過程で、父との心の距離が開いていくことを恐れた。
父の前で女らしい姿でいることを避けたいがために、髪型も服装も言葉使いもとにかく男の子のように振る舞った。
そもそも丸みの少ない角張った体型も、凹凸の多い顔立ちも…どことなく中性的な私が、格好や言葉使いまで男っぽくなったら、それはもうほぼ男だったと思う。女の子に「かっこいい」と言われ、時には告白され、男の子には男友達のように扱われた。
本当は他の女子たちみたいに、短いスカートを履いたり、爪にマニキュアを塗ってみたり、可愛い髪飾りを付けたり…
女の子らしいことをやってみたい気持ちをずっと胸に抱えながらも、父の前ではその姿を見せたくなかった。

わたしは高校で家を出た。
その理由は色々あるけれど、今思えば、一番の理由は、「父と離れることで、普通の女の子になりたかった…」
これだと思う。

かくして私は逃げるように東京の高校に進学したが、その選択は私のこじらせをより加速させることになる。

3.「女」をこじらせた、二つ目の原因

私が女をこじらせた二つめの原因は、「女子校への進学」である。

私が入学した女子校はちょっと変わった学校だった。
女子校に入りたかったわけではないが、普通科で寮のある学校で、かつ私の学力で入れそうな学校がそこしかなかったから、そこを選んだ。
中1~高3までの女子が同じ校舎で勉強し、同じ寮で寝食をともにする。

学校の敷地内にあるその寮のルールは厳しかった。
朝は5時半に起床し、みなで掃除をする。当番が作った朝食を食べ、その後も室員全員で部屋の整頓を行うなど分刻みのスケジュールで仕切られていた。
門限は夕方5時半で、平日は校舎の敷地内から外に出ることはできないし、休日の外出についても水曜に届け出を出さなかった場合は許可されない。
そんな閉ざされた環境なので、精神を病んでいる寮生は山ほどいた。
食事をまともに食べられずやせ細っている子や、過呼吸で突然倒れる子、腕にやたらと切り傷のある子…。
そんな、か弱い女子たちを目の当たりにした私は、まさかの思考に陥った。
健康的な自分に感謝して不健康な彼女たちを気の毒に思うのではなく、私もこんな風に不健康になりたいと思ったのだ。
痩せるだけで簡単に女らしさを手にできると思ったから。

そして食事を摂らなくなった。

ミニスカートを履いても、そこからのぞく自分の足は男の足に見えたし、柔道や水泳で鍛えた広い肩幅もまるで部活動男子のそれだった。辛かった。
その苦しみから脱却するために、ダイエットは簡単な手段に思えた。
「女になりたければ、か細くなれ」そう言われているような気がした。心配されるほどに痩せるだけで、他の誰よりも女の子になれるのだと。
そう思った。

私はガリガリに痩せた。

女だらけの環境で女になるということがどういうことかわからず、とりあえず誰よりも細い子を目指した結果が拒食症である。「細いねー」と言われることで、私はやっと女の子になれた!と思った。しかしそれは、「太ったら女ではなくなる」・・・という強迫観念を同時に生み出した。

私の歪んだ女としての承認欲求は、この女子校に入ったことでより一層屈折したのだ。

4.一瞬のこじらせ脱却と新たな悩みの誕生

その後私は、かなり時間をかけて性体験を経て、いわゆるメスになったことで「太ったら女ではなくなる」という強迫観念から抜け出すことができた。「オス」に「メス」として認識されることで、私はようやく「女」になれたのだ。20代の私は、突然訪れたモテ期のようなものを存分に楽しんだ。10代の頃渇望していた「可愛い」とか「エロい」とかいう言葉を20代で一生分くらい浴びた。(それが、「メス」とヤりたいだけの男たちが、息するように簡単に吐ける言葉だなんて露とも知らずに。)ちょっと垢抜けるのが遅かっただけで、元々顔もスタイルも悪くなかったんだ、この先私はずっとモテまくるんだな!くらいに自惚れていた。

それがある時いとも簡単に崩壊する。それは、30手前で付き合っていたちょっとモラハラの男に、ある日「ゆい、なんか老けたな。前はもっと可愛かったのに」と言われた瞬間だったように思う。

その時、新たな悩みが爆誕したのだ。「可愛い」や「エロい」は、若さに付随するもので、いつか失われるものであり、それはもう目前に迫っている。「女」になることばかりに固執し、そのことに振り回され続けた10、20代が終わる。その先の人生の方がよっぽど長いのに、大きな目標を失った。これからどうやって生きていくの?という。

5.エピローグ

「女」という性にしばられている限り、幸せになれないことに私は気づき始めている。32にしてようやく、必要なのは、メスとして認められる努力ではなく「人」として認められるための「何か」だったと。「人」として認めあった延長線上に「恋」や「愛」があるはずなのだ。そして男に女として受け入れられることだけが人間の幸せではないはずなのだ。頭ではわかってきている。ただ、30年もの間間違って認識していたものを、本当の意味で理解して生き方や考え方を変えるのは容易なことではない。プロローグに書いたことが、私がそれを理解できていないことを如実に物語っている・・・。i see.だけどi understand.ではないから、オスはメスが好きだし、メスとして劣っている私がオスに求められるわけはないと、心が体が男を拒絶するのである。

わかっているのにできないことというのは、生きていると本当にたくさんある。でもこの課題は必ずクリアしないと。。私は幸せになれない。そんな気がする。。どうする私。

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