推しが好きすぎて辛い(本当に)
またしても推しのオンラインライブに参戦してきた。私に合ってるなこのスタイルは。
というのも生ライブはいろんな意味で怖いからだ。理由はのちに話すとして、私の推しは歌って踊る音楽グループだ。私はここまでハマった音楽グループは今までにないし、とても丁寧に応援していて大切に思っている。
私はこの推しが好きだし推しが好きな自分のことも好きだ。こんな気持ちは初めてだ。
恋をしたことない人物が書いたようなぶっきらぼうな冒頭文になってしまったが、話はいささか深刻になる。
推しが好きすぎて辛くなることはオタたちみんな経験があるだろう。
この膨大なブラックホールでも吸い込みきれない「好き」の気持ちはどこに解き放てばいいのか?
混乱することもあるだろう。
絵がうまい人はそこに注げたりする。
ちなみに私の場合、
素晴らしくうまい推しの絵を見ようものなら「ぬるっとした嫉妬心」が顔を出しさらに辛くなる。
めんどくさい性格なのだ。
また、「推しが好きすぎて辛い」とは少しかけ離れるが、推しのライブを見て辛くなる。
そのとき思うことはこうだ、
自分もそっち(舞台)に立ちたい。
別に歌って踊りたいわけではない。
同じように自分も人に喜びを提供する側になりたいという意味。
自分が今何者にもなっていない中キラキラした推しを見るのは正直辛い。
これが生ライブが怖い理由。オンラインの画面越しならまだダメージは少ない。
ちょっとまたプデュの話をしてもいいだろうか。(私のnoteの7割はプデュ関連だ)
プデュとはPRODUCE101のこと。始まれば毎回社会現象になるセンセーショナルなオーディション番組だ。
プデュ、あれはひどい悪魔の実。
プデュに出演するアイドルを夢見る子たちは番組内で成長して垢抜けていく。原石がどんどん磨き上げられて輝く瞬間を目撃できる部分が魅力の一つだ。
国民投票(アイドルになって欲しい子に投票できるシステム)も相まって、視聴者は育成してる感が自然と勝手に出てきてしまうしくみ。(ただ見て投票してるだけなのに)ここが非常にうまく操作されてる。
プデュが終わったころには視聴者はおいてけぼり感。ぽっかりと何かを失ったような、寂寥感が半端ない。
「何やってたんだ私は、あの子たちは成長して私はその期間何やってたんだ」となる。
プデュの間何も手に付かないでいた人たちはね。(私です)
これだからオーディション番組ってやつはこわい、プロセスエコノミーてやつはこわい。
さて、推しのオンラインライブの話に戻るが
私が人に喜びを提供する側に完全になったらきっと生ライブも見れると思う。直視できると思う。
「好き」の気持ちのおさめ方もわかって辛さも緩和できると思う。
その日まで待っててくれるだろうか、推し。(でもオンラインライブなら参戦するよ)
推し活もいいが、「成長しろ自分、目標をCHASERしろ自分」って話であった。
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