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高次脳で絶望した話③
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障害は治らない
障害は不変的で固定されたもの。
そういう話だった。
「障害は治らない」
ふーん、って思ったよ。
たしかに治ることはない。
でもわたしは一時に比べて
確実に良くなっているという実感があった。
ベットに横たわって
天井見て
医療機器のお世話になりながら
かろうじて自発呼吸してる状況から(もはや石)、
どうしたらこんな状況が想像できるだろうか。
座って!
勉強してる!
ん…?
同一人物か?
だから、
障害者=社会的弱者だけど
自分がそれに当てはまるという実感はなかった。
わたしは、
全然弱者じゃない。
障害は個性か?
これについては
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と考えている。
基本的に、
当事者以外が個性というのは無しね🌷
って思う派。
わたしは当事者だけど、
それでも同じ高次脳民に
「わたしたちの障害は個性なの」
なんて言えない。
個性ってすごくいい言葉だけど、
耳障りのいい言葉で片付けてる感。
障害持ってる本人は日常的に
めちゃくちゃ傷ついてるよ、
個性なんて言葉で片付けられないほど。
個性と捉える肯定的な姿勢もわかるよ🌷
でも本人は、
生きづらくて困っているその障害を
本当に個性だと思えるのか?って話しね。
「障害」「障碍」「障がい」
障害という言葉自体に
本人を否定的に見たり、
差別的な意味合いが含まれる
障害者は害ではないのに
障害という文字に含まれる「害」の字が
どうたらこうたら。
わかりやすくいうと
障害者…今までどおり
障碍者…害→碍
障がい者…ひらがな明記(もう漢字はやめよう)
講義でそれについての議論があった。
議論を深堀りすると様々な意見があるんだが、
これは障害福祉啓発ブログではないので省略。
先にわたしの意見言っとくね😇
「ま!じ!で!どっちでもいい
ほんとどうでもいい🌷
(そんなことを議論するくらいなら、
障害者が本当に困る場面での支援とか
啓発して差別をなくしたり
合理的配慮するだとか
いろいろあると思うんだけど。
これ言い始めると話長くなって
たぶん長すぎてみんな引くし、
社会福祉に対して思うことがありすぎて
脱線するからやめとくね)」
わたしは、
支援者の視点と障害者の視点で思考をする
カオスな存在だろうね。
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