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わたしと母のこと


夢を見ているようだった。ずっとずっと、だれかの夢を覗かせてもらっているような。こんな体験をさせてもらったのは、生まれて初めてだった。

物語の終盤、また同じ人生の世界線に戻ろうとする亡き母の魂に、そこに戻れば、火事で死んじゃうよという眞人。それに対し眞人を産めるなんて幸せじゃない?それに火は素敵じゃないか、のようなことを彼女は笑顔で言ってのける。そして火事で死ぬことを知りながら再び眞人の母としての人生に戻ることを選び、力強く軽やかに元の世界線へ戻ってゆく。

あのセリフが脳裏にこびりつき離れない。じわりと心がみずで満たされる、ひたひたになって、じゅんわり涙が身体から染み出てくる。

わたしは自分と母とのことを思い出していた。

わたしと母の関係は褒められたものではなかった。


わたしの母はかなりの努力家で、あの頃の母にできる全てを賭して私たちを守り育ててくれた。

時間、お金、感情、健康、誇り、信念、人生の全てを私たちへと、彼女が本来向けられたであろう方向から捻じ曲げて向け、全力で守り育ててくれた。

わたしは母のことを愛していた。母もわたしのことを愛していた。それはお互いわかっているのに、母の愛情の注ぎ方と、わたしの愛情の受け取り方はほとんど正反対と言っていいほどで、その逆も然りだった。非常に相性が悪く、がちゃがちゃで、ぴたりとはまった試しがなかった。

わたしたちの関係はギスギスどろどろになっていて、私が娘でなかったなら、母はもっと子から感謝され、愛され、幸せだっただろう、という考えはもはや、私の中に常識として存在しつつあった。

いくつかの暗闇をくぐりぬけて、この思考にたどり着いているので、もうそこに悲しみや憎しみ、妬み嫉みはほとんどなかった。この思考はただ普遍的な事実としてわたしの心にぽっかり浮かんでいた。


しかし眞人の母の台詞を聞いたとき、があん、と久しぶりに感情が動いた。脳が揺さぶられているような感覚だった。ぐわんぐわんと同じシーンがあたまの中を駆け巡り、感情に比例して肺がめいっぱいに膨らみ、喉の奥が重くなった。ただただ暖かい水が身体中を満たして、暖かい気持ちで身体が満ち満ちになって、行き場を失った暖かい水が、目から押し出されるようにこぼれた。

『眞人を産めるなんて幸せじゃない?それに火は素敵じゃないか』

だって、私の母も、必ずそう言うだろうと思ったから。水は溢れ続けた。

どれほどの苦しみがあろうとも、

これまで私たちがした数えきれないほどの醜い言い争いをはじめから繰り返すことになろうとも、

娘である私が、わたしはもうこの人生を繰り返さない、繰り返したくないと言ったとしても、

子から感謝されなくとも、

うまく愛されなくとも、

全ての結末を知っていたとしても、

母はきっと軽やかに力強く、また私たちの母になりたいと、必ず言うだろうとわかったから。

瞬間的に、彼女が言わないはずがないと思ったから。

この感覚こそが、母の愛が私に届き、私の中に息づいている証拠なのだ。

確認せずとも、考えなくとも、母がそう言うだろうとわかったことがとてもうれしく、そして母の愛は自分の中にこそ存在していたのだと、こんなに単純なことを理解するのにこんなにも長い時間がかかってしまったことが悔しく、そして心はどうしようもなく暖かかった。

魂には余計な価値観や感情はないのだろう。行きたいほうへと、やりたいほうへと、直感的に進んでいるのだろう。私たちも生前、感じるがままにやりたいままに、直感的に今の己の人生を選んで生まれてきたのだろう。この映画は私にそう思わせてくれたのだ。

そう考えるようにすると、誠に勝手ながら、母に言った数々の酷い言葉の罪悪感が薄れて救われていくような気がするのだ。

そう考えるようにすると、母が私に言った酷い言葉も、私と母の魂に必要な学びの一つだったと感じられる気がするのだ。

ヒミのあの言葉だけで私の20年間のゆがみが救われ正される気がしたのだ。

ここでこんなことが起こるなんて全くの予想外だった。映画の内容すら想像もつかなかったから。

これまでの作品で一番、物語が終わってしまうのがさみしかった。

私にとって何にも変え難い大切なたからもの。
この作品に携わってくれた皆々様、本当にありがとうございます。

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