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無意識下でマウントの取り合い

頼まれてまず嫌な顔をする、それは癖になる。
断るというのは顕示欲の現れで、相手の立場が下であることの確認を兼ねている。質問に質問で返すのも同じ。どうかと聞かれてとりあえずそれらしいことを言おうとすることも同じ。

くだらない価値観だと思うかい?
でもこれは必要なことだ。まだ我々が縄張りを争って闘うサルだったころから、五体満足で生存し、自らのDNAを後世に伝え残すためにはこれが最適解だった。殴り合うのはお互い消耗する。医学のない自然界で生きる上では致命的なダメージを負うかもしれない。だから互いの立場を解らせあうことによって不要な衝突を避けてきた。
もう傷つけあうことなど必要ないくらい世界は平和になったというのに、我々はそんなことよりも自分の立場や自尊心を信じている。
だから断る。だから見せつける。

全体最適という言葉がある。個別の利害を超えて、大きな目的に照らしたときに利益となることに視野を広げて行動しようというものだ。
そんなものは幻想にすぎない。
わたしたちはわたしたち以上になることなど本来はできない。
だからわたしたち以上のものを信じない。
理由は明白。そんなものを理解してしまったら、まるでそいつが自分より上であることを認めることになって気に入らないからだ。

でも本当はわかっている。
わたしたちはもうサルではない。大昔はサルだったかもしれないが、子供のころはサルだったという人間はもういないのだ。

だから、解放されてもいいんだよ。恐れなくてもいいんだよ。
7万年かけて外見を変えることができたんだ。きっと中身もよくなっているはずなんだ。
そりゃまだまだ5万年前にされた嫌がらせは気になるけどさ。
2万年前のアイツを許すことはできないけどさ。
けっこうよくなっているはずなんだよ人類。

縄張りやボスや略奪者はもういない。代わりに神や上司に縛れることは出てきたが、そう悪いものではない。
声高に周りに教えてやるんだ。わたしたちはもうサルじゃあないんだぜ。

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