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ブラック企業から転職したらブラック企業だったけど、割と楽しい#5

せん‐ぱい【先輩】
《先に生まれた人の意》
1 年齢・地位・経験や学問・技芸などで、自分より上の人。⇔後輩。
2 同じ学校や勤務先などに先に入った人。⇔後輩。

デジタル大辞泉 / 松村明監修 小学館

愛すべき小山内先輩の話をしよう。
彼女ほど脛に傷のある社員もいないのではないかと思う。実際いないだろう。確信めいたものがある。

新しい職場はフリーアドレスが形骸化したような席配置で、フリーアドレスであるはずなのに座席表があり固定内線が設置され、書籍やらマグカップやら個人の所有物を置くことが許されている。入社時の説明でフリーアドレスだと言い張った総務担当者の説明は建前なのだろう。よくあることだ。
彼自身、自分の中の疑問と闘い続けた結果として辿り着いた境地なのだと推察する。どうか彼がいつか報われる日が来ることを願っている。

私は自分の席を持つのは初めてだった。
前職はオフィスにいることがほとんどなかった。各地に点在する事業所を転々とする日々だったので、ステレオタイプに自分のマグカップを用意してそこにコーヒーを注いで席で飲んだりするという体験をついにすることができ、満足感を得ていた。
その夢の終わりを告げるドスドスとした足音が近づいてくる。離籍していた小山内先輩が戻ってきたようだ。ワンフロアのオフィスを常に小走りで動き回る彼女はとても目立つし、目で追わなくても音でわかる。五体満足で生んでくれた両親には感謝しかない。

「ちょっと安代君、お願い!ちょっとだけ!ちょっとだけだから!」
私は自分の名前が安代であることをひどく恨んだ。ほかに安代君を希望する方がいたら喜んで譲るだろう。
あきらめて返事をする。いつものニヤニヤ顔が目に入る。
「この経理の出してきている数字とさ、私が出した今日の経営報告会の数字が微妙に合ってなかったのよ!」

アッテナカッタノヨ。あーなるほど、アッテナカッタノヨですな。
「なんとかして。」

嫌です。
ある程度私と似たような事務方のキャリアを歩む人間ならこう思うだろう。
ちょっとではない。大問題だ。

そして過去形。過去形ということはどういうことだ?
わかっているけれどわかりたくない過去形ということはつまりもう覆せない結果ということだ読者諸氏の時代は判らないが私の生きる現代ではまだタイムマシン実用化の目途はないつまりこれからの未来で何とかするしかないのだライフワークとしてこれから起こりうる様々な可能性が脳裏をよぎる脳が汗をかくという表現があるがこういうことなんだろうと思う胃が痛いまずはどこから手を付けるべきか具体的な差異を確認して事の重大さを認識するところから始めよう時刻は始業7分前経営報告会まであと37分資料は既に刷り終わっているデータは昨日すでに関係者に共有している上司には今日のアジェンダまでインプットしていて数字からそこに関する報告内容まですべて固めて渡している関係者は何人だどこから手を付けるおいそのに気持ち悪い笑いは何だ貴様ちょっとじゃないぞ大問題だ虚偽報告だ最悪上の首が飛ぶぞその笑いを止めろ止めろ止めろ。

この間5秒。大丈夫。慣れている。
ライオンは子供を強くするためあえて崖から突き落とすと言う。映画のライオンキングのような劇的な崖ではない。せいぜい横から降りられる程度のものだ。2、3回転がった子供のライオンが立ち上がって横から登って何事もなかったかのように母親にじゃれつく映像が記憶をよぎる。

ライオンだってその程度で勘弁してくれるのだ。
誰か私にももう少し優しくできないものだろうか。


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