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存在する主体

「存在」とは?「主体」とは?

主体と存在は、どのような関係があるのでしょうか。

「主体」は、「主」と「体」で「おもなる」「からだ」で構成されています。そして「存在」は、「存る(ある)」「在る(ある)」、という2つの「ある」で「あらわされて」います。

いったい何が「あり」「ある」のか。何が「あって」「ある」のか。という疑問が頭のなかに浮かびます。

「表現」され、あるいは「表現」し、「主体」となり、「存在」する。

前回の記事『表現する主体』と同様に考えると、、、

「現われ」「表し」、「主(しゅたる)」「体(からだ)」となり、「存し(そんし)」て、「在(ある)」。

言い換えると、

この世に産まれ(現われ)、生きていき(表し)、1人の「人」として(主たる)の「わたし」(からだ)として自立し、この世界で(存し)「生」を歩む(在る)。

ということなのか。「現れて」しまった「わたし」たちは「表す」ことによって「生きる」。「生きる」とは「表す」こと、いや、「表現」することなのか。

「生きる」ことは「表現する」こと。「表現」する「主体」となること。「主体」となって「存在」すること。「人生」というのは、かのようなことと考えられるのではないでしょうか。

「わたし」たちは、すでに「現われ」ている。「生きて」いかなければならない。「表して」いかなければならない。生きる「主体」として。表現する「主体」として。「存在」しなければならない、、、のか、、、。

いや、「表現」するには「存在」しなくてはならない。「主体」として「存在」しなくてはならない。

「表現」のまえに「存在」しなくてはならない。

しかし、「わたし」はここにいる、在る(ある)。「わたし」という「主体」がすでに、存している(そんしている)。

ああ「表現のまえに存在している」、「存在するということ、『主体』として存在するということは、『表現』することに先立つ」ということか。

「表現」することが「本質」なのか。「表現する主体」として「存在」することが「本質」なのか。いや、「主体」として「存在」している。実存している。

どっちが先なんだ。「表現」か「存在」か。いずれの前にも「主体」があるじゃないか。もうわからないんだ。

答えはどこに。





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