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Because I don't get pimples anymore,


一年ぶりに撮った証明写真は、頬の肉が著しく削ぎ落され、やつれていた。数年前の私は顎やら頬やら色んなところにやたらとでかいPimplesが散りばめられていて、顔の大きさだって今思えばパンパンだった。

流行りの疫病にもれなく感染したことがきっかけで、会社が休みになった。今年の長いGWから立て続けの療養なので、もう会社に戻れる心地がしていない。でも、こんなに穏やかな気持ちで過ごせるのはいつぶりだろうか。そして、いつから私は、こんな穏やかな気持ちで毎日を過ごせなくなってしまったのか。

1年以上前に自分が書いた記事を読み返し、涙が出そうになった。


「自分の個性も他者の多様性も、ずっと尊重できるような人間でいたい」

確かに自分の言葉でそう記されていた。まっすぐで純粋な思いだった。これを読み返すまで、心から自分の個性を愛し、そして他者の多様性も尊重できる状態だった、ありのままでそんなことができていた過去の自分がひどく美しく思えて、そして、どうして今の私はこんなにすさんでしまったのだろうと思い、悲しかった。自分の個性を見つめて尊重する余裕がなければ、他者の多様性に目を当てて尊重する余裕だって、あるわけがなかった。


思えば業務に忙殺される日々をすり抜けて、人の悪いところにばかり目を向けるようになっていた、最近。そんな自分、間違いなく嫌だって今更気が付いたし、そういう環境に身を置いたが故、どんどんその感覚が当たり前になり、腐敗されていく私自身を、目を覚ますように自覚してしまった。

そういうのは遅すぎるも早すぎるもないと思う、と僕は言った。たとえいくらか遅かったとしても、最後まで気づかないでいるよりはずっといいのではないか。

 ― 独立器官(村上春樹『女のいない男たち』より)


でも、この事実に気づくタイミングが遅すぎたということはきっとなくて、「最後まで気づかないでいるよりはずっといい」はずだ。そう信じて、私はこの事実に気が付いた私自身をきちんと尊重したい、今からでも、きっと遅くないから。

心穏やかに時間を過ごす今、あのまっすぐな文章を記した私自身に、戻れるような気がしていた。

いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない。

― ドライブ・マイ・カー(村上春樹『女のいない男たち』より)


家福さんがこう言うように、完全に以前の自分へ戻れる訳では決してないでしょう。そして私も、そのことを望んでいるわけではない。でも確実に今、離れていくべきタイミングなんだ、と、思ってしまった、今の職場に対して。当時の私は、呼吸がしやすく、視野が澄んでいた、余計な不純物は何もなく、私は私のままで、ありのままでいられる時間と環境がそこにはあった。私がコロナウイルスに感謝している点は、独立した存在として孤独になることが、当たり前のように許されていたことだったよ。何よりそれが、私の心を軽くさせ、そして、前に押し出してくれた。自分らしさなんてわからないけれど、私は私のままでいいんだなって、息をするようにそう思えた時間だった。何気なく目にした空に、夕焼けが浮かんでいた、何にも代えがたい贅沢と幸せが、そこにはあったから。

美学は自己完結してこそで、他者に「こうしないのは美しくない」というのは意味不明です。自分が美しいと思うことは自分自身がやればよく、それぞれが美しいと思うことをやり、それがひしめき合う世界が、この地上です。

 ― 最果タヒ(Twitter)



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