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1月23日(木)みんなが共感できるコンテンツは存在するのか?

「2019年はみんなが共感できるコンテンツが豊富だった」という言葉がずっと気になっている。ずーっとである。

年明けに見た、NHK総合『新春テレビ放談』での話で、テレビ東京の佐久間さんとか、おっさんズラブのプロデューサーの方とか、出席していた方々は概ね同意していたように見えた。『凪のお暇』とか、『わたし、定時で帰ります』とか、今の人たちはみんな疲れてるから、疲れを認めるようなコンテンツが多かったね、と。

そこにいた人たちが見ている「みんな」って誰なんだろう?多分、彼らと似たような年代の、似たような人生を生きている人たちのことなのかな。

そこには、小中学生も、中高年もいない。だいたい、20代後半〜40代の人たちを指してる。さらには、だいたい、働く人たち。もしくは、働くか、家庭を持つか、悩む人たち。

なんだかなあ、と思う。

みんなが共感できる物語なんて本来ないはずだ。もしもあると言うのなら、それは、日本全体が同じような人生を人々に求めていることの裏返しではないのだろうか。

共感を基準にして物語を作ると、そこからはみ出す人たちが出てくる。はみ出した時の切なさたるや、世界中から自分が無視されているような気持ちになる。

先週から始まったNHKの『心の傷を癒すということ』は、共感を基準に観る作品ではなかった。在日外国人の方の葛藤も、神戸で起きた地震のことも、それから先に負うであろう体の損傷も、私には知らないことばかりだ。理解したくても、分かってあげたくても、本人にしか知ることのできない心の傷というものがある。容易く「共感した」と言えないような、深い傷がこの世にはいっぱいある。

本当に良い作品が始まったな、と、嬉しく感じている。嬉しいっていうのかな、この感情は。ワクワクとかドキドキとは違う、じんわりと、ありがとうという気持ちになるような、少し苦しいような。でも癒やされていく。

物語を観る時、誰かの体験談を読む時、登場人物を俯瞰で見て、その人の気持ちを想像するのが、今の自分にはしっくりくる。自分の人生経験と当てはめて共感する必要、あるのかな。「共感できるコンテンツ」に該当しなかった場合、優れた物語であっても爪弾きされていく未来が訪れるのであれば……そんなのはいやだ。

いろんな人生があった方が面白いし、物語を通していろんな人生を知っていきたい。


【出来事】

ヨドバシで注文したお菓子が早速届いた。楽天24はまだ届かない。今時珍しいぐらい遅くて逆にびっくりする。

PMS記録を観察するに、お天気が悪いと心の状態が乱れるみたいだ。イライラしたり落ち込んだり。でもその根底にあるのは具合が悪いことと一人の寂しさだ。どちらもどうしようもないから、どうしようもないだけにイライラしたり落ち込んだりするんだろうな。

解決策のないこと、たくさんあるんだけど、自分の同世代の若い人たちは基本的に健康だし、仕事や恋愛などで成功体験を繰り返しているから、努力に基づく無力が存在することをご存知ないんだろうな。という感じが、noteのおすすめ欄を見ていても漂っていて、社会とウマが合わないとはこういうことかーと思う。かといって80代のおばあさんとも話は合わないんだろうな。生きた時代が違うから。世の中は令和を進んでいるのに、私はいつまでも2016年のまま。

『ビッグバンセオリー』のシーズン10がHulu に来ていたことに気がついた!なんで誰も話題にしてないんだ?字幕で見ているので、全エピソードが配信されるのは3月のことになりそう。少しずつ公開していただけるとそのぶん楽しみが延長されるので、それはそれで嬉しい!

久しぶりに見たら英語耳が退化しててセリフが理解しづらくいつもより笑いにくかった。やっぱり字幕や吹き替えだけでは本来のユーモアのニュアンスが表現しきれないから、元の言語で見るのが一番いいんだけど、なにぶん慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎って言った方がいいのか?)になってから、英語で思考するとひどく脳が疲れて寝込むようになったのでなかなか難しい。数シーズン遡ってみたらまた勝手に慣れてくるかな〜。

せっかく猛勉強して英語ができるようになったのに病気のせいでうまく扱えないのはとても悔しい。こんな気持ち誰にもわかんないだろうな。症状のこと、わざわざ詳細に考えたくないのに、この前提条件を他者に理解してもらえないと、そもそも日々の文章表現のすべてが何も伝わらないだろうなと思って書きたくもないのに解説した。はー嫌だった。頑張ったね。自分のための日記のはずなのに。おつかれさまでした(完)


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