ちゃんと書いた記事 VS 適当に書いた日記

前から思ってたことなんやけど、大体いつも気合いを入れて書いたちゃんとした記事とかより、適当に音声入力でペラペラ喋ってそのままアップロードした日記みたいなののほうが、アクセス数やらスキやらが多かったりする。なまじ気合いを入れて書いたもんだから、目に見えて数字の大小を知らしめられると、自分の努力が無に帰した気がしてショックを受ける。まあこんなものは文章を書く上でのあるあるだろうから気にしないに限る。

しかし、この現象というか、リアクションの傾向はなんでなんやろう?っていつも思う。

可能性としては、ちゃんとした記事にしようと思えば思うほど、自分のパーソナルな部分を削ぎ落としてパブリックな雰囲気を醸し出してしまうから、どこかの誰かのパーソナルな体験を読みたくてnoteを回遊しているユーザーからすると、適当にペラペラ喋った日記とかの方が興味を持ちやすいのかもしれない。

それに音声入力で適当にペラペラ喋った文章というものは話し言葉に近いから、割と読んでいてすっと頭に入って来やすいというのもあると思う。さて文章を書きますよ!と意気込んで書いたような文章は、改行が多かったり句点が多かったりするので、なんだか形式張っていると言うか堅苦しくて、ここまで気合を入れて暇を潰したいわけではないんだよなぁっていう風になりそう。

もしくは私のパーソナルな部分が強く出ている文章、というよりは私のパーソナルな部分自体を人は面白く感じてくれるのかもしれないし、そもそも日記みたいな文章ってわりと感情について書いていることが多いから、人間誰しも持っている喜怒哀楽の感情のうち読み手が感じているその中のどれかと合致して、読んでくれてる可能性は高い。

気合いを入れて書いた記事は大体テーマがニッチ過ぎる気がする。昨日書いた記事も、めちゃくちゃ頑張ったけど、内容がショパンとポーランドなのでかなり対象が狭いし、まあ対象が狭いような記事の方がかえってグーグル検索からの流入は多いのかもしれないけど、別にグーグル検索から流入してほしいとも思ってない。もっとなんていうか、ああ星野源のことね、みたいな感じで、ああショパンのことね、と読んでもらえるのがそもそもの理想である。

ショパンを軸にせずに、海外旅行とかヨーロッパとかポーランドを軸にすれば、もうちょっと気楽に読んでもらえることもあるのかなと思うけど、ショパンを軸にしなかったら私の軸であるショパンへの想いも無視することになるので、そんなことはできない。誰にも読んでもらえなくても、きっと天国からショパンが見てくれているので、まあ別にそんなに気にすることもないのかな、っていうかショパンが天国から見てる訳はないんですけど……

もっと世の中にショパンとポーランドが好きな人がいればいいのになって思うけど、今音声入力してたら「ショパン」が「食パン」って誤変換されてしまうから、音声入力ですらもショパンのことはあんまりよく分かってくれてない模様。

本当にショパンは稀代の愛されボーイだよ。


終わり


#音声入力で書きました

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞