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2020/5/26 古い洋画で逃避行

たとえばの話だけど、日本のどこかの地下牢で産まれ、生身の人間には誰とも会わず、特定の年代(たとえば1940年代)のアメリカ映画やアメリカ文学だけを観たり読んだりして育った場合、その人はやはり1940年代風の単語やアクセントを使うようになるのだろうか?

みたいな、ありえない人体実験的な疑問がずっとある。英語に興味を持ち、話せるけど、邦人である限り拭えぬ疑問である。

現在の日本のテレビ放送を観ることで得る歓びがほとんどなくなり、苦痛ばかりが増す一方だった四月上旬、私はテレビを観るのをやめた。代わりにどうぶつの森という架空世界に入り浸るようになり、島の手入れも落ち着いた今は、古い外国映画を観るようになった。

もともと現代の映画のテーマには飽き飽きしていて、それは現代社会そのものに飽き飽きしているからなのだろう。スマホ依存がどうとか、気になる人にテキストを送る送らないとか、薬物がどうとか、キャリアだのシングルペアレントだのLGBTQだのガンだの精神疾患だのマイノリティだのマジョリティだの、もうたくさんなのだ。どれもこれも同じに見えてしまう。なんでだろう。時代の流れと共に物事の描き方が小さくなっているような気がする。描かれないことについては概ね満足できるほどに人間の暮らしが物質的に豊かになったからかもしれない。

今は『風と共に去りぬ』『カサブランカ』『オズの魔法使い』『ローマの休日』などを観ている。いろんな映画を朝ドラ感覚でちょっとずつ、15分ずつくらいで観ると、とっつきやすいし、「最後まで見なきゃ」感がなくて良い。気分転換にもなるし、本当に面白い作品だけが残っていって、そうでもない作品は記憶から溢れて観るのを忘れてしまうだろう。

古い映画は時代も戦争下にあるものが多く、「自分の力では絶対にどうにもならない世の中の流れ」があるからこそ物語が魅力的になるのかな、と思う。なにより、観てて、こんなにも大変そうな時代を思えば今の自分の暮らしは本当に平和だなぁと思えるし、いろんな悩みがちっぽけに思えるから良い。

そして、1940年前後の洋画ってびっくりするくらいお金が掛かっているものも多いみたいだ。『オズの魔法使い』なんてファンタジーだから、あの頃の技術では表現するのも本来難しいであろう映像なども「工夫」でなんとかしているのだが、その工夫の方が今のCGなどの映像技術よりも自然に観えるから不思議だ。画質が悪いから工夫感が見えにくいだけなのかもしれないけど、結局にせものの炎はどこまでもにせものの炎で、本物の炎に向かって飛び込む役者の命懸けの表情に勝るものはないんだろうな。

またいろんな映画が観られるようになってきて嬉しい。新しいおくすりを12粒まで増やした成果だと思う。そういえば音楽も聴けるようになってきた。人間らしい生活ができるとこんなにも違うのだなぁ。おくすりにありがとう、先生にありがとう、寝具にありがとう、ベルメゾンにありがとう、ディノスにありがとう……



HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞