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2月7日(金)コンテストに動揺する

「cakesクリエイターコンテスト2020」の開催が発表された。応募締切は2ヶ月後。

応募しようか迷っている人はきっと、どんなことを書こうかなーとな、自分の魅力はどこにあるのかなーとか、考えてることやろう。

でもなー、私はそれができひんねん。なんなん、めっちゃ悔しいな。なんやねんこのくじ運の無さは。

ほんまは自分の好きなこと書きたいで。留学してた時のこと、英語の勉強を頑張った時のこと、好きな人がいたこと、音楽のこと、服のこと、国内外の文化への興味とか、いろんな自分がいたはずやのに……

全部なくなってもうた。今の自分とかつての自分が一致しない。今の人生と過去の人生は別のものになってしまった。もう取り戻せない。まるで昔話みたいや。

書きたいことと書けることが一致しないと、書き手はとても苦しむことになる。

本当は、ほのぼのした暮らしの話とか、おいしいものをつくる話、食べる話、どこかに行く話、おもしろいことをする話、昔懐かしい笑い話、そんなことが書きたいのに……

現実は残酷や。書けるのは、病気の話、病気生活の話、都会に浮かんだ無人島みたいなこの部屋から眺める社会の話、寝ても覚めても一人ぼっちの話、2年間家から出られないと人はどうなるかとか、そんなんばっかりや。書きたくない。書いても楽しくもなんともない。つらいだけ、苦しいだけ、そんな現実しか書けへん。

もしも病気の話を書いて、それが連載されて、話題になったとしたら(そもそもその仮説がありもしいひんような話やけど、もしそうなったとしたら)、それは凄いことや。世の中の流れも変わるかもしれへん。病気の初期で治療できる人が増えて、助かる人が増えるかもしれへん。だから、私の中の良心は、「病気のことを書いて世の中のためにならなくては!」と訴えてくる。

でもそれをしても、自分自身は助からへんままや。回り回って、自分も良い治療が受けられるようになったとしたら、そういう意味では助かるかもしれへん。けど、私が助かりたいんは、書くことで助かりたいんは、心の方や。心が助からんままなんや。書くことでむしろ傷付くだけの、心の方。

コンテストが開催される度に、気持ちがかき乱される。個人的に書きたいこと、(たぶん)社会的に書かなあかんこと、そのズレの中で、苦しんで、もがいて、そうなるのが嫌で、なんにも見なかったことにする。

応募しよかなとか才能の有無とか推敲の量がどうとか、そういう問題ですらない。

しかも、もしも「書かなあかんこと」をテーマにしたとして、執筆によって自分の身体に与えられる負担を想像すると、また痛くなるんやろうなとか、意識もうつろに寝込むんやろうなとか、夜寝られんようになるんやろうなとか、悲しくなる。

こんなに病気やと、普通の人の何倍も努力しないとマトモな文章なんて書けない(今、日々書いてる文章がマトモでないことくらい分かっている)。推敲にかける時間から身体に起きる痛みは相当なものだろう。痛いのは嫌だよ。その先に良い未来が見えてこない。

頑張って頑張って書いたとして、評価されるとも限らへん。そもそもテーマが暗すぎる。暗いって言っても、私が暗いんじゃなくて、この身に迫る現実があまりに強大で、視界全部に影を落としてるから、結果的に目の前が真っ暗なだけなんやけど。世の中はそんなことわかりやしいひんやろう。私が暗いのか、現実が暗いのか、そんなことどうだっていいんやろう。

ジョークもユーモアもどんどん言えなくなっていく。こんな人間じゃなかったはずなのに。

もっと面白いことが言いたい。人を笑わせたい。一緒に笑いたい。そんな私を踏み潰していく病気を、人は知りもしないし、知ろうともしないし、気づかれないまま、この社会の無人島で、誰にも認識されぬままに消えていく。

やっぱり、書きたくない。こうやって正直に書き連ねる分には多少なりとも救われるんやけどな。


【出来事】

今日は訪問診療の日で先生が部屋まで来てくれた。先生は変わらずずっと「焦らんときや」と言ってくれる。

毎日のつらさからさすがに気持ちのコントロールができなくなってきたこと、低血糖時に怒りっぽくなってしまって困る、その後落ち込むと言うと、「しあのさんが悪いんじゃなくて、病気が悪さしてるだけやから」と言ってくださった。

ありがとう……

母にぴよちゃんのぬいぐるみを抱えて庭に出てもらった。両手で大空高く持ち上げたぴよちゃんは気持ち良さそうで、私も空を飛んでるみたいな気持ちになった。可愛くて笑いが溢れた。

さようなら

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞