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『手当たり日記 46』最終的な答えは、まだわからない 2023年12月25日

昨日の続き。

ネットフリックスでトレバーノアのスタンドアップコメディショー見終わったあと、トレバーのことについてもっと知りたいと思いネットで調べていた。たどり着いた記事にあった動画が興味深かった。「ザ・デイリーショー」にオルタナ右翼で反リベラルのテレビキャスター、トミ・ラーレンを招いた時のこと。トミは自身を人種差別者ではない、と主張する。トレバーは「異なる社会的バブルや、反対の意見のひとにどう思われたい?」とトミに尋ねる。トミはこう話す

「悪い人だ、とか悪意を持っている人だと思われずに、お互いに反対意見を言い合えるといい。私が黒人を批判したり、Black Lives Matter運動を批判するからと言って、反黒人的とか、黒人嫌いだとか、人種差別者というわけではない。コリン・キャパニック※は批判するけれども、彼の表現の自由は否定しない。私自身も、自分の表現の自由を重んじて彼を批判しているだけ。それは、私が悪党だとか、人種差別者という意味ではない。実際、私は誰かに対して人種的な誹謗中傷をしたことはない。肌の色を理由に他人を蔑んだことはない。私にとって真の多様性とは、思想の多様性だと思う。肌の色の多様性ではない。そもそも、色は見ない(I don’t see color.)」
※コリン・キャパニックはNFLの選手。ジョージ・フロイド事件を受け、試合前の国家演奏中に規律を拒否し、抗議の意を表明した。(https://www.bbc.com/japanese/37283611

最後のひとことが衝撃的だ。トレバーは、それに対して、「色は見ない?じゃあ信号はどうするの?(You don’t see color? So what do you do at the traffic lights?)」と皮肉のジョークを飛ばす。

僕が気をつけたいと思っていることは、自分自身は人種差別者ではない、と表明するように努めることではない。日常を生活していく中で、無意識に人種差別者、あるいは何かの差別者になっているかもしれないと疑い続けることだ。マジョリティーに属しているからいえてしまう無意識の差別発言があると思う。そもそも、自分がいる場において、マジョリティかマイノリティか、考えなくてもすむ人はマジョリティなのだ。自分自身の肌の色について悩まなくていいのは、マジョリティに属しているからという場合が多い。トミ・ラーレンが言うのとは全く反対で、差別は悪意のない、悪者だと思っていない人間の無意識から生まれると思う。

100分de名著という人気番組のフランツ・ファノン「黒い皮膚・白い仮面」を取り上げた回で、伊集院さんがこんなことを言っていた。記憶が曖昧なので、趣旨だけになるが、「他者への歩み寄りの諦めは分断を生む。他者を分かったと思って満足してしまうことは偏見を生む。」

僕はどんな世界を望んでいるだろう。あたりを見渡すと「誰もがありのままで生きていけるように」、というスローガンが掲げられることがあるが、そこには100%同意ができない。人類は、気温の変化に虚弱で、素手だけでは食料を十分に得られない、野生で生き延びるにはハンデの多すぎる身体を獲得した代わりに、社会を形成して生き延びてきた。社会に依存し、社会から依存され個体も集団も生き延びる。そんな社会では、他人と折り合いをつけなけれいけないことは少なからずある。そのため、自分の行動様式や考えを変えなければいけないことがある。
だからこそ、自分では変えられない、変えることが難しい、「所与の条件」を不当に否定されない社会がいい。容姿、人種、肌の色、髪の毛の特徴、生まれ持った性別、セクシュアリティ、母国語、家系などで否定されない社会を望んでいる。自分では変えようのないことで、自分の可能性を縮小させられたくない。

今年読んだ本で一番記憶に残っているのが、タラ・ウェストーバーの『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』という自伝エッセイだ。公教育と現代医療を否定する終末思想家の両親の元に生まれたタラは、幼い頃から過酷な家庭内暴力に晒され、男家族から女性であることを恥じるような言動をたびたびぶつけられてきた。しかし、タラは独学でたどり着いた大学で第一波フェミニズムの思想を知り、こう気づく。

『女性の本質についての最終的な答えは、まだわからないのだ。』

伊集院さんのいうように、差別や偏見は、「分かりきった」と思ってしまう無意識の思考停止から生まれる。そして、その思考停止は、他者の可能性を手加減なく狭める。なにかの可能性を狭めるとは、その本質についての答えを決めつけてしまうことなのだと思う。男性らしさを求める社会は、男性の可能性を狭め、男性のあるべき答えを決めつけてしまう社会でもある。女性の、ある人種の、僕らの可能性、あるいはその本質についての最終的な答えは、まだわからないと思い続けたい。そして、可能性を問い続けたい。


今日は長い1日だった。帰り、編集室の最寄駅のホームに降りると、SITHと大きく胸元に書いてある黒いジャケットをきた中年の男性が前から歩いてきた。SITHとは「スターウォーズ」に登場する、悪役たちのことなのだが、ウィキペディアによると、「怒りや憎しみなどといった強い負の感情から生み出される攻撃的な、「ダークサイド(暗黒面)」のフォースを信奉する者たちを指す。」とある。スターウォーズシリーズ4から6では、銀河系一帯を、SITHの帝国として支配し、数々の星の住民を苦しめていた。彼は僕と同じ電車に、隣のドアから乗り込んできた。SITHジャケットの背中には顔面の真ん中が爆発して粉々になるダースベーダーが描かれていた。ダースベーダーは、銀河帝国の皇帝の元で第二の支配者として残忍酷薄な行為を続けていたアンタイヒーローだ。謎が浮かぶ。SITHジャケットの彼は一体SITHの支援者なのか、それとも否定派なのか。

アナロジー。たとえば、「自由民主党」と胸元に大きな文字が入り、小泉純●郎、安倍●三や岸田●雄の顔面が爆破されている絵柄が背中に描かれたジャケットを着ていたら…。それは間違いなく反自民党者による皮肉の極みではないだろうか。それは、もはや単なる皮肉ではない気がしてきた。自民党を立て直す、とか、真の保守とか、美しい国などと叫びながら前進するのだが、果たして後にもたらすのは、国家の貧困、政党の規律の崩壊、政治資金を濫用する政治の腐敗だったとしたら…。さようなら、自民党政治…。

SITHジャケットが欲しくなってきた。ググったら同じものを見つけたが、価格は16万だった。イラネ。

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