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めっちゃラフな「大阪」考

GWは久しぶりにかなりまとまった休みが取れたので、新潟にいる二人の娘と妻を大阪に呼び、僕の暮らす布施のマンションを拠点に、あちこち過ごした。年中さんの次女N美はもちろんのこと、小3の長女M子の学校は、まぁ「旅に出ます」ということで宿題を多めに出してもらって休むことに。

娘たちはごちゃごちゃとした下町をほぼ知らない。東京に少し住んでいたとは言え多摩エリア、大阪の実家は堺の泉北ニュータウンということもあって、がっつり郊外。ということでコテコテな下町にはまったく縁がなかった。だから、布施に着いた途端、えべっさんの人形に突っ込んだり、未だ活気を継続している商店街を進むごとにとにかく目移りして大変だ。あれはなに?これはなに?と。

まず自転車があほみたいに走っているのをみて、「自転車、バカ多いね!」(バカ〇〇という方言は、別に新潟に限定されないけど、新潟のばあばがよく使う方言で娘らも俄然使いまくっている)と。そして、多いだけでなく、「なんで歩いている人多いのに、誰も止まらずスピード出してるの?」とか「なんでこんなに道端に自転車止めてるの?」とか、挙げ句の果てには「なんで自転車に傘ささってるの?(通称かさぽん!)」とか、質問攻めに会うので、「いやぁ、危ないし、邪魔やんね(かさぽんはええとして)。でもこれが、“大阪”なんよな……。」と、適当に「文化」のせいにするという親としてどうなん?な説明をしてしまう。ああ、大阪のこの感じについて理屈で返すのは難しい。自転車問題はただの一表象だし。

近くの三ノ瀬公園に行ったら、ブランコの支柱になっている鉄の棒からよじ登ってブランコを釣っている上の棒にまでよじ登っているM子くらいの小学生がいたが、それを親らしき人が見ていても何も注意せずにいる様子を見て、妻が「なんで?」とカルチャーショックを受けている。また、小学高学年とみられる男子グループの一人が自転車をまるで族のバイクのようにデコっていて(マフラーの部分が、MONSTERの500mlの缶だったところが僕的にはツボだった)、「この文化、なに?」とまた妻が。もう、俺に聞くなよ。知らんがな!

公園に行った日は、僕ら家族の共通の友人でもある、編集者でフードコーディネーターのTさんも一緒にいた。彼女は兵庫出身だけど大阪はがっつり長い。彼女から出た一言。

「だって、ここ大阪やで。」

そう、そうなのだ。もうそうとしか言えないやん。妻もかつては大阪に住んでいた時期があるが、この十年離れている間に子供も生まれ、主要な目線モードが「子育てモード」になっていることもあり、今まで大阪で素通りしていた景色を、再び目の当たりにして、「あれ? なんなんこの感じ……」ってなったということか。

さすがに各地転々生活を続けていると、僕にとっても「ああ、大阪ってこんなんやったな」っていう相対化が生まれているのも事実。例えば大阪の大学教員になって学生と接していると、言葉遣いとか、コミュニケーションのいろんな場面で、「ああ、そうや、ここ大阪やったわ」と我に返ること多し。自分的にツボにはまったのが、「いっちゃん(一番)」という言葉と、多発する「やし」(これうまく説明できませんが、「そうであるし、またこうでもあるし」的なことの間にこの言葉単体で入る魔法の接続詞)。うわー、そうやったそうやったと感覚を思い出す。もちろん泉州とか、河内とかで微妙にきつさ、違うんですけど。

ちなみに、M子もN美も、大阪に行く前から「たこ焼き食べたい!」とずっと言っており、滞在初日に早速近所のたこ焼き屋で買い込んで食べたら、「おいしい!」と。まぁバクバク食べる。特に長女はだいぶ気に入ったようで、二日目も「食べたい」と言い出し、また買いに行く。うん、たこ焼き、美味しいよね。

そう言えば、僕自身、この「だって大阪やし」という魔法であり呪いでもある決め台詞を、意識的に演じることは結構あった。それは全国各地の小学校にワークショップに行くときによく使う手だ。最初に子供たちに自己紹介する際に(滋賀や東京や新潟に住んでいても)「大阪から来ました!」と言うことに。すると、子供たちは俄然どよめきだし、なぜか笑い出す。そして、「えー、大阪弁話してー!」「なんでやねん!」(児童たちがいかにも大阪弁風に誇張して)なとどふざけだす(大阪的にはいちびりだす)。そうなったらこっちのもので、そのわちゃわちゃした盛り上がりに便乗したり、「話さへんわ!あほか!」とか大阪弁で乗りつつ否定して、笑いを取ったりする(この戦術的態度は、カルチュラル・スタディーズを絡めて語れそうなもんだ)。

そんな風に、「大阪」に寄せてみたり、退いてみたりしながら、結局大阪人であることからは逃れられないので、まぁ、何人であろうがそれも含めて「私」として生きていくしかないのだけど、ほぼ標準語を話す長女M子から夜寝る前の読み聞かせで「ねー、大阪弁バージョンで読んで!」と言われるたびに、とても微妙な気持ちになることは、ここに告白しておこう。

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