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とんでもブス改め、とんでも美人の自己救済


わたしはワタリノ。
顔のことを苦にするあまり、つい先日noteをはじめた醜女。

(どんな顔をしているかは自己紹介の記事を読んでね)

記事を書いていくうちに、自分が何を欲しているかが明確になってきた。

私の苦しみは自分の顔そのものというより、
ずっと、悩みを共有できる仲間がいなかったこと、

そして、
『美しい家族の中で、小学生までは可愛い部類だったのに、思春期を経て自分だけ似ても似つかない孤高のロックンロール・フェイスに育ち、その事実を家族親戚も持て余した』
ことにあるとわかったの。

もし私の顔がこんなでも、
祖母も、母親も、姉もこんな顔で、マジ二重羨ましいよね〜アイプチ貸して〜もう整形しよっかな〜なんてやりとりが軽くできてたら、そんなに悩まなかったかもしれない。

二十歳くらいでアッサリ二重にしてるかも。整形してもブスなんだけど〜って笑いながら、今頃幸せに生きていたかもしれない。

いや、「そんな顔のくせになんで子供産むんだよ!」って荒れて病んでたかな…そうならなかったのは、良かった。

とにかく、欲しかったのは、
お母さんに似て美人に育ったわね〜」という言葉だった。

私は物心ついたときからずーっとずーっとこの言葉を待っていたわけだが、そんな瞬間は一度としてこなかった。

若さすら失い、もはや未来永劫、誰からも言われることはないだろう。

でも私はまだ、言われるのを待っている。いつか祖母と母譲りの、平行二重の遺伝子が覚醒し、鼻がみょーんと高くなり、あらー見違えたわね、年取って親に似てきたわねー綺麗になったねーって誰か、誰でもいい、言われるのを、今でもじっと待っているのだ。

もう自分で言うしかないだろ…


という結論に至る。

本日の風呂より開始。クレンジング中、
「あらーお母さんに似て目ぱっちり〜お肌ツルツル〜可愛いわねー」
「器量良しに育って良かったわねー」
「鼻が高いわねー可愛いわねー美人ねー」

むなしいぞ、これは…

ひたすら言った。声に出して、あるいは心の中で。

鏡に映ってる顔が実際どうかって?
毛穴はボコボコ、鼻はペタンコ、目つきは最悪。言うまでもないだろ!
でもいい。言われたかったことを言う。誰も言ってくれないから、自分で言う。

今まで生きてきて、10万回はブスと言われてるな。
じゃあ100万回、美人と言おう。誰も言ってくれないから。しょうがない。


ブスってのは、「そこにいる」だけで笑われ、侮辱される。迫害という二文字が浮かぶ。そんな時、私は酷い時代の黒人差別のことを考えて自分を慰めていた。
黒人は道を歩いているだけで石を投げられたり、リンチされたりして、ひどい時には殺されて遺体を木からぶら下げられたりしていたわけで、それに比べりゃ私なんかちょっと笑われるだけで、命まで取られるわけじゃない。恵まれている。

でも黒人は一人じゃなかったよな、ともボンヤリ思っていた。同じ怒りをわかちあい、プラカードを掲げて行進する同胞や、歌を作って歌う同胞がいた。
わたしが言葉でズタズタにされているときプラカードを掲げて一緒に怒ってくれる人はいなかった。
酔っ払った親戚に、みんなの前で、姉に比べて可愛くないねと言われたとき、私は自分が天井の梁から吊るされているような気持ちだったが、血をわけた人ですら、気にしちゃダメよ酔っ払いの言うことなんて〜と困り顔で笑ったりして、怒ってはくれなかったし、歌を作ってくれる人もいなかった。

でもそんなもんだよなー。そんなもんなのよ。
どんなに顔がいい人だって、どんなに幸せそうに見える人だって、何かしらにグッと堪えて踏ん張ってるもので、自分で自分の傷をなんとか癒して生きてるんだよね。

だから、怒りが湧いたら、ひとりでも自分で怒ればいいし、慰めの歌が欲しいなら、自分で作って歌えばいいし、他人に言われたかったことは、自分で言えばいいんだよね。

ハイ。

改めまして、母親そっくりの、とんでも美人のワタリノです。
目なんかね、針を張ったようにパッチリでね、肌もピカピカで…ありがたいことにねー…


と、いうことにして、とりあえず生きてみます。

読んでくれてありがとう。
あなたの明日が素晴らしいものになりますように。
またね。

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