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聖書とタロットと

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2021年4月の記事一覧

タロットに「使うための聖書」

タロットに「使うための聖書」

ところで、聖書はさまざまな訳がある。さすが世界最大のベストセラーなので、様々な言語に訳され、そして日本語でも数種類が購入できる。ひょっとすると、中学や高校の時に、いわゆるミッション系に行っていた方なら(そして、捨てたり古本屋に売ったりしてない限りは)手元にあるのであれば、取り立てて新しく買う必要もないだろう。もちろん、購入してもいい。この辺は好みの問題だろう。

ただし、できるのであれば、ちゃんと

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逃れることはできないこと

逃れることはできないこと

タロットは、間違いなくユダヤ・キリスト教という文化の土の中から生まれたものです。それを否定することはできないですね。色々なアレンジを施したカードが生まれようと、そのことと、元々のカードの持つ文化的背景を無視することは無関係で、どれほど斬新な解釈をしようと、そこから逃れることは不可能なのです。

確かに、タロットカードは、その元々の宗教性をうまく回避させているように思われます。しかし、そこから完全に

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カバラー

カバラー

タロットをやっていると、いつかどこかで(本人は自覚していなくても)、ユダヤ教と接近することになります(気がついていないことも多いです)。ユダヤ教神秘主義である「カバラー」とも、本人の自覚、無自覚はさておき、その周辺に立ち寄ることになります。

カバラーとは、かなりざっくりいうとユダヤ教の神秘主義思想のこと、そして神秘主義というのは、これもかなりざっくりいうと神と一緒になることを目指す思想、というこ

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Toraを持つ女教皇

Toraを持つ女教皇

いわゆるThe High Priestess:女教皇ですけれど、彼女はTORAなるものを手に抱えています。

ぱっと見、新聞紙のように見えませんかね。聖書?と思ったりもしますけれど、彼女が持つ物体は本らしい形状はしていません。なんとなく、新聞のような、ポスターのような、どちらにしても巻物のような風になっています。

実は、これは正しい描写です。つまり、TORAは「本」ではないのです。

ではなんだ

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タロットとユダヤ

タロットとユダヤ

何やら「4/24(土)から、連続投稿数が更新されない障害が発生してい」るそうです。なんかちょっとおかしいなと思っていたんですけど、そういうことだったんですね(この投稿時ではまだ復旧していません)。まあ、そういうこともありますよね。

タロットと聖書の関係、そしてキリスト教さらには、より複雑なのがユダヤ教との関係かもしれません。

例えば「カバラ」「生命の樹」「ヘブライ文字」いずれも、タロットという

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文明の基礎としての聖書

タロットとは、明らかに、西洋文明から出てきたものです。それゆえに、その源の一つである聖書の理解なくしては、タロットの深い洞察は困難と考えます。

誰もが読む必要はないとは思いますけれど、誰もが手元に置いておくべきであるとは思っています。日本語辞典(≒国語辞典)や英和辞典を持っていない人は少ないと思いますけれど、それと同じことであると言えます。辞書を読んだりするという人はほとんどいないと思いますけれ

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聖書≠キリスト教(タロットのための聖書)

聖書≠キリスト教(タロットのための聖書)

聖書をなくしては、キリスト教はあり得ません。それと同様に、(旧約)聖書なくしてはユダヤ教は成立しませんし、クルアーンなしにはイスラームもあり得ません。

ところが、逆はあり得ます。つまり、キリスト教なくても、聖書は問題なく成立します。これは、パッと思いつくだけで二つあります。

まず、聖書は、それ自体が西洋文明の古典の一つであるので、信仰なしでもその価値が失われることはありません。

もう一つは、

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聖書、そしてタロット

聖書、そしてタロット

このテーマでしっかり文章を書こうとしたら、自立するような本(つまり、かなり分厚い本)が一冊かけてしまいそうなほど、聖書はもちろんのこと、タロットも豊潤な内容に富んでいます。

しかし、にもかかわらず(かつ、タロットには極めて多くの聖書的な象徴が散りばめられているにもかかわらず)「タロット 聖書」という難問に正面から切り込んだ書物は、少なくとも日本語で書かれたものはないように思われます。

確かに、

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