聖書≠キリスト教(タロットのための聖書)
聖書をなくしては、キリスト教はあり得ません。それと同様に、(旧約)聖書なくしてはユダヤ教は成立しませんし、クルアーンなしにはイスラームもあり得ません。
ところが、逆はあり得ます。つまり、キリスト教なくても、聖書は問題なく成立します。これは、パッと思いつくだけで二つあります。
まず、聖書は、それ自体が西洋文明の古典の一つであるので、信仰なしでもその価値が失われることはありません。
もう一つは、タロットに出てくる聖書のモチーフの多くは、「キリスト教」の知識を必要としているかと言われれば、かなり微妙なところです。
前回も言いましたが、タロット(もしくは占い)の世界観と、キリスト教的な世界観とは、近くにいながら相容れないところがあります。この話をしだすと、本が一冊書けるので、今は少し置いておきますけれど、タロットをしっかりと理解するには、キリスト教的な価値観などは必要ない、と言っていいでしょう。
しかし、なぜこのような図象があるのか、なぜこのような人が出てくるのか、この図象の意味はなんなのか。そういうことを考えて、かつ想像力を豊かにするためには、書物としての聖書、西洋文明にとてつもないインパクトを与えた書物としての聖書のことを知っておくことは、極めて重要なことであると思っています。
もちろん、なしでもなんとでもなりますけれど、しかし、しっかりとした理解、より深い洞察に至るには、知っておいた方が良い知識であることは間違いありません。
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