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FYI.3 安楽死の映画を観る

昨夜、レイトショーで映画「すべてうまくいきますように」を観ました。脳卒中で倒れ、命は助かるも障害が残った状況に耐えられず、安楽死を求め続ける父親と家族の様子を描いたフランスの作品。色々と考えさせられました。繰り返し出てくる父親のセリフが、「死にたい」ではなく「終わらせたい」と訳されていたのは、かなり考えられていると感じました。

安楽死の問題は、死生学の主要テーマの1つです。日本ではまだ強い抵抗感がありますが、世界では近年、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペイン、オーストラリアなど10カ国以上に増加しているようです。スイスでは、映画もそうでしたが、安楽死を希望する人を国外からでも受け入れていることは、よく知られているところです。

なぜ、ここにきて安楽死を認める国が増えてきたのか気になります。ただ、映画を観て感じたのは、フランスはさすが近代発祥の中心地というのか、合理的思考に基づいた自己決定と、自己決定を尊重する姿勢がすべての登場人物に備わっているということです。感情的にどんなに揺れ動くことがあっても、最後は自己決定を尊重するというような。安楽死を成立させるために「幇助」する側の人も、何も知らない周囲の人間から見れば「よくそんなことができるなあ」と恐怖を覚えがちですが、実際は自身の考えや信念に基づいて、最後まで本人や家族の気持ちを慮りながら活動しているように見えました(そして、それをボランティアではなく事業として実施しているところが、個人至上主義の割り切りというのか、すごいなとも)。

日本でどうするかを考えるためには、まず私たち一人ひとりが安楽死に限らず、さまざまな問題を「自分事」としてよく考える訓練というのか経験を積み重ねる必要があるのではないかと思います。必ずしも欧米人と同様の考え方をするべきとは思いませんが、少なくとも「自分は関係ない、知らない」的なスタンスからは脱却しないと、いつまで経っても前に進めないのではないかと思いました。

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