見出し画像

絶望の底の底まで掘ってみた(前編)

こんばんは。
読んでいただいてありがとうございます。

今週で休み始めてから約1ヶ月が経ちました。
とはいえ、なんか半年くらい経ったみたいです笑

そんくらいいろいろな経験をさせていただいています。
良くも悪くもですが・・・笑

さて、今回は自分の夢について話します。

休み始めてから色々考え、自分の目指す暮らし、理想とする暮らしについてだいぶ固まってきたのでそれについて。

そしてそれを実現する方法についても。
まぁ、焦ることはないですが…!

1ヶ月の総集編みたいな感じなので少し長くなるかもですが、ぜひ読んでみてください。​

自分の考えを整理すると同時に、同じ気持ちを持つ誰かに届けば良いなという感じです。

〜ほんじつのもくじ〜
○休んでから考えたこと
○自分の理想とは???
○それを実現する方法
○今後について

○休んでから考えたこと
約1ヶ月前、鬱の診断書をもらい、仕事を休みました。

↓詳しくはこちらに書いてあります

主な原因は仕事内容とか人間関係とか色々ありましたが、闇なので割愛。

もう二度と戻りたくはないと思うと同時に、病んでても仕方がないので、

なんでこんなに病むほど辛かったんだろう?

と考えてみた。

主に辛かったこととしては

1、自分の仕事が本当にやりたいこと(農業・農村振興)になるのか疑問だったこと
2、10年後・20年後の生活が容易に想像できてしまったこと
3、なりたい大人がいなかったこと

があります。

職場批判ではなく、ただ単純に自分にとって成果が目に見えない仕事が合わずどれだけ努力しても未来がわかっているのが辛かったということです。
社畜になるだけの未来が。

そして理想の大人がいなかったこと。
なりたいと思う大人は一人もいなかった。
むしろ、なりたい大人は仕事以外にいた。
これが一番辛かったです。

この先ずっと1日8時間以上、週5日費やして、得るものはなんぞやと…。
安定していて魅力的に思えた仕事は、出口の見えないトンネルでした。
もっと例えるなら、水分補給も休憩もなしにずっと全力疾走させられてる感じ。
全力疾走しているのではなく、させられている
それがダメだった。

病むほどに。

ちょっと例えがわかりにくかったですか…。

その結果、努力している意味や価値がわからなくなり、今に至ったという訳です。

○自分の理想とは???
じゃあ何がしたいん?って話になると思います。
自分のやりたいことはなんぞやと。

もちろんお金は労働の対価なので、やりたいことだけで生きていけるとは思ってません。
ただ、やりたいことが延長線上にない労働というのはあまりにも辛い

そこのゴールがしっかりしていないと、ほんとに無気力になってしまうんではなかろうかと。
自分の幸せを他人に預けることになってしまうのではなかろうかと。

冨岡風に言うと、生殺与奪の権を他人に握らせている感じ。

その状態がどーーーもダメでした。
まあ、自分で生きていくことも生半可ではないと思いますが…。

話がそれましたが、自分がやりたいことは

○農業や農村を良くすること
○働くこと、生きることに価値を見出すこと

単純に言えば、この2つなんじゃなかろうかと思いました。

農業は農村は単純に自分が好きで、力になりたいから。
昔からそういう場所で育って、人がいない現状や減っていく未来をなんとか変えたかった。
この1年農村部に人がいないことは耳にタコができるほど聞いた。
じゃあ自分が行けばいいじゃないかと
行って力になったほうが早いんじゃないかと。
今はそう思っています。

てか、自分自身自然がないとあかんですわ…。
都会って直線すぎると思うんです。
確かに便利かもしれませんが、生活も起伏がなく、直線。建物も全部直線。

便利=幸せでは無いと思います。
便利=平坦で退屈。
この資本主義へのアンチテーゼはずっと持ち続けていたいと思います。

これは今まさに自分の「軸」であるもので、絶対に忘れていはいけないこと。

そして、働くことや生きることの延長線上にゴールがあること
完全には無理かもしれませんが、理想ではあります。

この2つがないとどーもダメみたい。

休職中は焦って転職先を探したりしてしまうけど、自分の軸ができたことで焦る必要は無くなった気がします(とはいえどーも焦ってはしまいますが)。
この2つさえしっかりしていれば、あとは大丈夫だと。

ここで、なんで農業や農村が好きなのか今一度考えてみた。
それは、働く=生きることに直結しているからだと思う。

農業は食べ物を作るという生の根幹を担っていて、農業を主とした農的な暮らしは、働く=生きるの直線であり、とてもわかりやすい。
そこには生きることに対する誠実さやシンプルさがある(一概には言えないかもですが)。
生きるって、もっと分かりやすいものなんじゃないかと思う。

自分はそこが好きで、農業や農村、自然が好きになった。
そして、その究極として自給自足的な暮らしがあるんじゃないかと思った。

「働く=生きる」の究極。
それは自給自足なんじゃないかと。

生きるとは、自分や周りの人の生活を豊かにしていくこと。
働くとは自分の暮らしを自分で作っていくこと。

直感的にそうなんじゃなかろうかと思う訳です。

シンプルで、わかりやすい暮らし。

正直自然を相手にすることはものすごく難しいことなのかもしれませんが、それでも挑戦してみる価値はあると思うんです。

自分で暮らしを創造し、働く。

その上で、生きる意味や働く意味を突き詰めてみたい。
そう思えてなりませんでした。

そしてそれがひいては農業や農村の振興に役立つんじゃないかと。
そう考えた訳です。
農村部の土地を活用し、自給自足的な取り組みをしてみたい。

じゃあ実際にどう形にしていくのか…?
実現する方法はあるのか…?

もしかしたら形になるのかもしれない。

詳しくは、後半で話していきたいと思います。
(勿体ぶってすみません。長くなっちゃったので…)

読んでいただいてありがとうございました。
後半へ続く。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?