雨が降るらしい。朝の天気予報がそれを告げている。しかしおれは傘を持たないで家を出る。なぜなら傘を持って出かけても、いつも外におき忘れてしまうからだ。だからおれは傘を持たない。

だって、はじめから持っていなければ、忘れることもないだろう?

これがおれの経験から導き出したひとつの哲学だった。予報どおり、午後から雨が降りはじめる。芽ぶいた緑をはぐくむように、熱くなったコンクリートで囲まれた街を冷やすように。雨にうたれて、おれは濡れてしまう。そして風邪をひいてしまう。高熱でうなされ三日ほど寝込んでしまう。

傘があれば、おれは風邪を引かなかっただろうか?

おれはビニール傘ではなく、いつでも持ち歩けるような折りたたみ傘を買う。天気予報が晴天を告げている日にも傘を持ち歩くようになる。雨が降ったときにおれの体が濡れないようにするために。風邪をひいてしまわないようにするために。

しかしある日、おれは不注意にも傘を電車のなかにおき忘れてしまう。雨がやんでいたので、傘をさす必要がなく、うっかり置いたままにしてしまったのだ。駅の改札を出て、家路を歩いている途中で忘れたことに気がつく。おれは駅まで走って戻る。駅員に傘を忘れたことを伝える。駅員は忘れ物を捜索するための手配をしてくれる。だが傘は見つからない。

おれのすこしの油断で、傘は失われてしまった。おれはおれの不注意を責める。おれはもっと傘に注意を払うべきだったのだ。代わりの傘は買わない。おれは失くした傘を探しはじめる。

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