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知らず知らずのうちに疲弊した心と身体を癒すために、5年ぶりに実家に帰った話。


実家に戻ってニート同然の生活を始めて早くも1ヶ月が経とうとしている。

それまで休みという休みもほとんどなく過ごしていたことがウソのように感じる。

なぜこんなことになってしまったのか。

今後また今回のような事態を引き起こさないためにも、なぜ長期間に渡って休むことになったのかを記しておこうと思う。


◯実家に帰るまでの経緯 


・恋愛と向き合った


昨年の秋ごろに芸人をやめて、作家という肩書きを名乗り出した。とはいえ仕事はほとんどなく、収入の大半をフードデリバリーのアルバイトで賄う日々。
しかし、それでも僕は幸せだった。

仕事があまりないとはいえ、芸人をやっていたときよりは収入がある上に時間の融通もきく。

趣味のオタ活をしながら楽しい仕事でお金をいくらかもらえているという状況は、芸人をやっていた頃の地獄の底のような生活に比べたら何百倍もマシだった。

そんな平穏な暮らしにヒビを入れたのが、以前の記事に書いたインスタDMの一件である。

詳しい話は過去の記事を読んで頂きたい。

この一件でそれまで諦めていた「恋愛」というものに向き合うことになったのだが、そのことが徐々に精神を蝕むこととなった。

低収入・恋愛経験ゼロの33歳、絵に描いたような弱者男性。
そんな僕が恋愛に前向きになったことで、改めていわゆる自分のスペックを再認識したときに一種の絶望感を覚えた。

こんなスペックだから恋愛を諦めてたんじゃん……。
現実的にここから恋愛をしようと思ったら、取り掛かるべき課題が多すぎる。

今考えると、ここでまず1段階目の精神的負荷がかかったような気がする。

ただ、前向きになると決めた以上諦めるわけにはいかない。
僕が恋愛をするためにまず必要だと考えたのが「お金」である。

とりあえずもっと稼がないと話にならない。
現在の支出を見直すという課題もあったのだが、最低限の生活費以外のほとんどを趣味に費やすような人間にとってはその課題は出来るだけ目を背けたいものだった。

ということで、仕事との向き合い方を改めて考え直さなくてはならなかった。


・仕事とお金に向き合った


稼ぐためにどうするか。
積極的に新たな仕事を取りに行くか、現在抱えている仕事の単価を上げる交渉をするか。

僕はまず後者に取り掛かった。

芸人をやめてからの僕は、無理に頑張らず楽しくそれなりに生活できればというスタンスで生きていた。
そんな僕にとって、いきなり新たな仕事を取りに行くというのは少々ハードルが高い。

加えて、現在抱えている仕事の単価に不満がないわけではなかった。
厳密にいうと、現在の単価が高いのか低いのかを考えたことがなかった。

やっている仕事の性質上、単価の妥当性を測るのがとても難しい。

自分の仕事ぶりに自信がないときは「もらいすぎてるのかも」と思うし、自信があるときは「こんなに少ないのはおかしい」とも思う。

そんな風に思い悩んではいたが、仕事先の人との話し合いの結果なんとか単価を上げるという方向で話がついた。

単価が上がった以上、これからもっと頑張らねば。

そんな風に思っていた。

そんな時期に、現在抱えている仕事とは別で比較的重大と思える仕事を任せられることになった。

これを乗り越えれば、それなりの報酬もある。
とにかく頑張ろう。

これがおそらく第2段階の精神的負荷だったと思う。


・身体が思うように動かない


とにかく仕事を頑張ってお金を稼いで、恋愛をする。

そう決めてからすぐのある日のこと。
いつものようにフードデリバリーの配達に向かおうと思ったのだが、なぜかいつものようなやる気が出ない。
普通のバイトと違ってサボっても誰にも迷惑がかかるわけではないため、数ヶ月に1回はこういう日がある。
とりあえず今日はサボって、明日から頑張るか。

そう思って、その日は休むことにした。

次の日の朝。
やっぱりまたやる気が出ない。目は覚めてるのに、起き上がるのがつらい。

布団の上で数分間うずくまった状態だった。

以前に鬱になってしまった女性の動画を見たことがある。
鬱になる前はとても楽しそうな笑顔を見せていたのだが、鬱になってからは床に肘と膝をついた状態で這いつくばりながらじゃないと移動することができない。とても衝撃的な映像だった。

布団でうずくまっているときに、なぜかその動画の女性を思い出した。

しかし、なんとかその日は起き上がることができ、フードデリバリーの仕事に向かうことができた。

だが、3時間ほど働いても前日から覚えている違和感が消えない。理由のわからない倦怠感。

とりあえず昼休憩のために一旦自宅に戻った。

ちょうどその時に仕事仲間から電話が来た。

正直、誰かと話せる気分ではない。
しかし、重要な要件だったら困るので電話に出る。

案の定仕事の話だったが、会話をするのがしんどい。

すぐに相手も電話越しにその違和感に気付き、病院に行った方が良いと言われた。

その後、彼がすぐに手配をしてくれて、次の日に心療内科に向かった。

病院では特に病名の診断などはなかった。
とりあえず話を聞いてもらって、とりあえず薬を処方してもらう。そんな感じだった。

話すだけで少し楽になれた気がして、一旦は大丈夫かもと思った。

そしてなにより診察料の高さを見て「こんなに金がかかったんだから、休んでる場合じゃねぇ!」と思い、冷静さが少しだけ戻ってきた。

この時点で3日ほど仕事をしていない。
収入が減る一方である。稼ぐと決めたばかりなのに。

そんな風に考えていたが、病院を手配してくれた仕事仲間からその日のうちに「しばらく実家に帰って休んだ方が良い」と言われた。

最初はその提案を受け入れることはできなかった。
休めば休むだけ収入がなくなる。貯蓄もほとんどない。恋愛どころかこれからの生活はどうなる?

そんな不安が押し寄せる。

しかし、彼から「すでに仕事が出来る状態になってない時点でどうしようもないし、頼れる親がいるんだからどうにでもなる」と言われた。

上の句には納得できるが、下の句には納得できかねた。
確かに親はまだ両方生きている。だが、親にだって親の生活がある。短い間とはいえ、家を出た30過ぎの息子の面倒をいきなり見なきゃいけないなんて迷惑だろう。

そう思ったのだが、上の句に納得してしまった時点で反論する余地もなく、とりあえず実家に帰ることになった。

1週間くらい休むだけなら、なんとか挽回できるだろう。
このときはそんな風に思っていた気がする。

ここまでが休むまでの大体の経緯である


◯5年ぶりの札幌


・地元の変化



地元に帰ると決めてから、実際に帰るまで数日ほど時間があった。
その間出来るだけデリバリーの仕事をしたかったが、休むとなった以上なんとなく気が引けてしまい、結局やらなかった。

札幌に帰る頃には、病院に行った日よりは精神状態も安定してきて、帰る必要があるのかと疑問に感じた。

そんな気持ちのまま長い移動時間の末、実に5年ぶりに故郷の札幌へと辿り着いた。

以前に帰ってきたのは、たしか中学時代の友人の結婚式のためだった気がする。そのときは式だけ出てすぐに東京に戻ったので、ゆっくり地元で過ごすという意味ではもっと久々である。

まず札幌駅に着いて気になったのが、駅の様子がだいぶ変わっていたことである。
地元に住んでいる友人から事前に聞いてはいたが、実際に目の当たりにすると驚きを隠せない。
北海道新幹線開業に向けて駅の工事が数年前から始まっているらしい。その関係で学生時代によく通った道や店の多くが無くなったり変わっていたりした。
当初よりも新幹線の開業時期が延期になり、駅の中が無意味にもの寂しくなってしまったのはなんとも虚しい話である。

そんな変わり果てた地元の姿を見て、少しだけ気持ちが落ち込んだ。
こんなことで気分が左右されているようでは、まだまだ精神状態は正常ではないなと感じた。


・気兼ねなく会える唯一の友人



実家についてからはとにかく暇になるだろうと思い、時間を潰す道具をいくつか持ってきていた。
と言っても、パソコンとスマホさえあればYouTubeやサブスクなどでほぼ無限に時間は潰せる。

最初の数日は溜まったアニメを観たり、ソシャゲをやりまくったりして過ごした。
あと、実家に置いてあるベースを久々に触ってみた。かなりブランクがあった割にはそれなりに弾けたのだが、集中力が続かない。
東京に戻るまでに大好きな結束バンド関連の曲を一曲弾けるようになろうと思ったが、数日で挫折してしまった。

あとは、札幌駅以外の場所がどのように変化しているのかも見たくなったので、自転車で思い出の地を巡ったりもした。

まずは小学校のときによく行っていた場所。そこから派生して小学校時代の同級生の家の前を順番に巡るという、おそらく犯罪か否かの境界線上の行為をしてノスタルジーに浸った。
中にはもうなくなってしまっている家もあった。

中学高校時代の思い出の地も巡り、母校の大学構内にも足を、いや、チャリを伸ばした。

在学中死ぬほど見飽きた観光客のように、現役時代は一切撮らなかったクラーク像の写真を撮ったりもした。

北大構内クラーク像の前、北海道出身の双葉杏さん

そんな風に1人で過ごす時間を充実させることは出来たのだが、誰かと会う気にはあまりなれなかった。

久々に友人に会えば、「なぜ帰ってきたのか」とか「最近何してる?」とかそういった話題に必ずなるだろう。
そうなれば、現在の自分の状況を説明せざるを得ない。久しぶりに会ってそんな暗い話をされたら、相手もどうリアクションすれば良いかわからないだろう。
ほぼ確実に流れるであろう絶妙に気まずい空気感を想像すれば、誰かに会おうという気にならないのは当然だろう。

しかし、そういうことを気にせず会うことが出来る友人が1人だけいる。

その友人とは高校からの付き合いで、数少ないオタク仲間である。最近も頻繁に連絡を取り合ったりよく一緒にオタクイベントに行ったりしているので、彼は僕の近況についてよく知っている。
彼は、煩わしい説明をする必要がない珍しい存在なのだ。

札幌に戻ってきて最初の週末はその彼と過ごした。

その日はかねてより行きたいと思っていた、千歳にある『太陽の恵み』というお店に一緒に行った。

このお店は、声優の鈴木愛奈さん花井美春さんのご家族が営まれているということで有名なお店である。
そう、北海道出身のオタクなら必ず行かねばならないところである。

千歳市にある『太陽の恵み』


友人は以前に行ったことがあるらしく、彼に案内してもらいながら店まで行った。
店内には愛奈さんと美春さん関連のグッズが大量に飾られており、圧倒された。

そんな店内の様子を楽しみながら、2人でこのお店の名物のオムライスを堪能した。


店内の様子①
店内の様子②
人気メニューのオムライス

お店に出た後は千歳から札幌に戻り、母校である大学(彼も同じ大学出身)を散歩しながらくだらないオタ話から真面目な将来の話まで、いろいろと語りあったりした。

次の日は一緒に映画を観に行った。観た作品は『劇場総集編 ぼっち・ざ・ろっく!Re:』
すでに東京で3回観た作品を地元でもまた観る。どんだけ好きなんだよ。

特別な音響環境がある映画館がすすきのに新しく出来たらしく、せっかくならそこでも観たいと思ったので行くことにした。

札幌の劇場にもちゃんとパネルがあった。

映画を楽しんだあとは、大通公園で缶ビールを飲みながらまたいろいろと話をした。

そんな充実した二日間を過ごしたことで、自分の中の活力がそれなりに回復していることを実感できた。
しかし、それと同時にまたこれまでの日常に戻れるかどうかの不安にも気付いてしまった。


・親友に会ってみた


僕には小学校から付き合いがある友人がいる。出会ってから、かれこれもう四半世紀くらいだろうか。僕は東京、彼は札幌と距離は離れているが、今でも年に数回は必ず連絡する。僕の人生の中で1番古い友人である。

彼は僕の現在の状況を知らない。しかし、古い付き合いの彼になら会えるかもと思い連絡をしてみて、数日後に飲みに行くことになった。

昔よく行っていた地元の焼き鳥屋で久しぶりの再会。
本来なら気兼ねなく楽しく話せるはずだが、若干の気まずさのようなものがあった。
今の自分のことをどのタイミングで話さそうか、いつもと様子が違うと思われてはいないか。そんなことを気にかけながらしゃべっていると、すぐに「なんで帰ってきたの?」という質問が来た。

その質問が来たことで、逆に楽になった。
そこからこれまでのことを全て話した。

彼は、僕が思っていた以上に親身になって話を聞いてくれた。
ただ重々しく話を聞くだけでなく、いつものように軽妙に小ボケをいれながら話を聞いてくれたのがありがたかった。

利害関係が一切ない幼少期からの友人の言葉は、他の人からの言葉とは少し違うものを感じた。

僕は、芸人として活動してきて全く上手くいかなかったことを無意識のうちに心のどこかで恥じていた。
何の成果も出せない間に長い時間が経過して、その間に周りの同世代の人たちが家族を持ったり責任ある仕事をしたりして、人生ゲームの駒をどんどん進めていることに強い劣等感を覚えていた。

しかし、「普通に働くよりも答えが全く見えない芸人の世界でもがいている方がよっぽど凄いことだ」と彼は言う。

自分がどこかで無駄だったと思っているものを、彼は肯定してくれた。付き合いが長い故にその言葉が本心であることが直感でわかる。
言葉が一切の引っかかりもなく胸に落ちてくる感覚に、安心感を覚えた。

仕事に関して彼は「無理に続ける必要はない」と言った。

やりたいことがある人間というのは、結構少ない。
だからやりたいことがあるなら頑張った方が良いと思うが、やりたい気持ちよりつらい気持ちが上廻るなら辞めることはわるいことじゃない。辞めて普通に暮らす方がよっぽど簡単だし。

そんな感じのことを言われて、自分がやりたいことって何なのかを改めて考えてみようと思った。
何となく今やっていることを頑張らなきゃいけない、逃げてはいけないという強迫観念のようなものに囚われていた気がする。一旦それは忘れて、シンプルに自分のやりたいことを明確にさせるべきなのだろう。

彼は医療関係の仕事をしているので、僕の精神的な状況についても説得力のある言葉をいろいろ投げかけてくれた。それも安心材料のひとつとなった。

「これまでほぼ休みなく頑張ってきたんだから少しくらい休んだってなんの問題もない。そのことで親に迷惑かけたっていいし、それくらいのことで親は迷惑だと思わない。」

最終的にはそんな結論になり、彼に会う前よりも不安感が軽減された。


◯東京に一時帰還


札幌へ最初に帰ってきたのが6/17だった。
その時点では、6/29までには東京に戻ろうと考えていた。

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