【インタビュー】双極症を経験しながらも理学療法士マインドを活かし自分をリハビリしてきたさっちゃんさん
わたころメンバーの田島です。今回のエッセイでは、「双極症になった理学療法士」さっちゃんさん@Sattyan_Physioをご紹介します。さっちゃんさんは、ご自身の病の経験についてtwitterで発信したり、twitterのスペースでお話をなさったりしていますので、ぜひ、訪れてみてください。
インタビューは、2023年5月13日20時から1時間程伺いました。
さっちゃんさんは、現在、就労支援施設を利用し、次なる仕事に向けて準備をしています。さっちゃんさんがご自身を振り返り、双極症を発症していたのは、大学時代ではないかと考えています。ただ、当時は病だとはまったく思っていませんでした。
大学の学生寮に入り、大学生活を送っていましたが、ある日、学生寮の食堂に足が向かわなくなりました。人と会うことに億劫さを感じるようになったと言います。しだいに自室に引きこもるようになります。結局、大学は中退し、自宅で引きこもる生活を続けますが、少しずつ気持ちが上向くようになり、高齢者施設で介護スタッフとして働くようになりました。その中で理学療法士という仕事を知り、高齢者が生きようと思えるようになるために自分のことを自分で行えるようになるサポートが必要だと考えるようになり、理学療法士を目指すことになります。
昼間は関連の施設で働きながら、理学療法士になるための夜間学校に通います。先生に恵まれ、学校生活は順調でした。ただ、国家試験が近づくなか、周りの友人に国家試験の勉強を積極的に教えるようになり、期待どおりに勉強ができるようにならない友人にイライラするようになります。当事、睡眠時間も極端に短くなりました。とはいえ、国家試験は無事に終わり、結果も合格でした。気分が躁状態だったのではないかと後に振り返ります。問題は、就職後すぐに生じました。先輩に頼まれたコピーを行うことができず、何十枚もの白紙を印刷してしまったのだそうです。その後も頭がうまく動いてくれないことが続き、「うつ病のため、自宅療養を要する」と診断を受けたため、理学療法士としての最初の就職先を退職せざるを得ませんでした。
当時、大変なショックを受け、死ぬことも考えましたが、自分が理学療法士になろうと決めた原点に立ち返り、高齢者施設で理学療法士として働くことを決意します。そこでの仕事はとても順調で、周囲との信頼関係を築いていくことができました。しかし1年程して、「もっと稼げるような、自分に相応しい仕事がしたい」とふいに思うようになります。当事婚約者がいたこともそうした考えに拍車をかけたのかもしれません。そして、突然、上司に退職届を提出します。あまりに突然のことで、周囲の方が戸惑いを隠せなかったと振り返ります。その後は、離転職を繰り返すことになり、婚約者からも理解ができないと言われ、別れることになりました。
どん底に突き落とされたような暗闇で過ごすなか、以前から服薬していた抗うつ薬は増量されていきました。服薬するごとに状態は悪化し、寝たきりで過ごす日々が続きました。そんななか、セカンドオピニオンのために別の病院を受診したところ「うつ病ではなく双極症である」と診断を受け、新しく処方された薬により2か月ほどで状態がよくなりました。そして現在に至ります。就労支援施設では、障害や病を持った人の自立を支援する仕事に就くために実習に行く準備をしています。自身の病の経験を活かし、ピア・サポートをしていきたいと考え、そのための技能習得の研修も受ける予定だそうです。
そうとうつの起伏のなかで、自分を責めたり、他人を責めたりします。それはまるで障害受容の否認期のようですが、さっちゃんさん自身、自分の障害を受け入れるときは、死が訪れた時ではないかといいます。つまり、一生、障害を受け入れることはできないと。泣きながら自分の病の情報をインターネットで必死に探す中で、「双極症でも人格や性格は否定されない」という言葉を発見し、主治医にそれは本当かと尋ねたところ、落ち着いたトーンで、「双極症でも、人格や性格は変わりません。リハビリを頑張ってきたさっちゃんさんがそれを証明している。」その言葉が、今の自分を支えているといいます。
これまでの試行錯誤から、自身の気分の起伏のパターンを分析し、睡眠時間の短縮化がそのリスクを高めると判断し、日頃からスマートウォッチで睡眠時間をモニタリングしているそうです。苦しみから見出した確かな自分はこれからのお仕事のなかで沢山の苦しみに希望を与えるもののように感じました。(田島)
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