東日本大震災から9年〜今私たちにできることとは〜

活動を通しての学び


首都直下地震や東海地震。現在、日本には近いうちにくると言われている大地震がある。私が住んでいる地域も例外ではない。いつ大地震が来てもおかしくないと言われ続けている地域に住んでいる私は、地震発生時にどのようにして自分の命を、大切な人の命を守ればよいのかを学びたくて弊団体「災害と教育事業部 わたげプロジェクト」への入会を決めた。

実際に私は数多くの防災教育の方法を知った。災害発生時の対応も数多く知った。しかし、私は弊団体での活動を通してもっと重要なことを知った。それは、今まで「被災地」の方々を「被災者」という一括でしか見ていなかったが、実は一人ひとり被災状況も違えば、今必要としている支援も違い、「復興」状況も全く違うという事実に気がついていなかったということだ。なぜか。理由は簡単だ。弊団体に入会するまで「被災地」の方々一人ひとりの話を聞く機会を持とうと思わなかったからである。そんな私にこの大切なことに気付く機会を与えてくれたのが、弊団体の「震災の動画を見る会」である。


あの日あの時


2011年3月11日2時46分。

「あれ?地震じゃない?なんか今日の地震、揺れ長いよ。」

愛知県にいた私たちにとってそれはただのいつもより少し長い地震に過ぎなかった。当時小学校4年生だった私は、東日本大震災発生時、ちょうど帰りの会を終え、校庭に向かうために教室を出るところだった。私の小学校があった地域は震度3。普段より揺れが長いと感じただけで、まさか東北では震度7の揺れを観測していたなどとはこのとき想像もしていなかった。揺れはしばらくすると収まったのでそのまま、地震のことなど気にすることもなく、友達と校庭に向かい、下校するために班ごとに並んで座った。すると、先生から

「東北で大変大きな地震が発生したようです。この地区でも、今後大きな地震が発生する可能性もあるので注意して下校してください。」

と言われた。この後、友達と

「大きな地震がきたら、家具とか倒れるんだよね?東北の人たち大丈夫かな?」

「でも、阪神淡路大震災以降、耐震基準厳しくなったし大丈夫でしょ。」

「そうだよね。普段から避難訓練とかしてるしね。」

という会話をしながら家まで帰った。この時点でも、まだ東北がどれだけ被害を受けていたかなど想像もできなかった。

家に帰り、テレビをつけて思わず自分の目を疑った。言葉を失った。逃げる人々や家をことごとく流していく津波の映像にただただ衝撃を受けた。恐怖以外の何物でもなかった。そして次の日、福島第一原発の水素爆発の映像で再び衝撃を受けることになった。これらの映像を見て以来、地震は恐ろしいものだという認識を持ち、普段から備えるようになった。例えば、外出先で地震がきて家に帰れなくなってもしばらくは生きていけるように、ちょっとした外出にも水筒を持っていくだとか、高校時代には通学カバンの中にすぐに食べられる食糧を常備しておくだとかである。

しかし、今振り返ると東日本大震災と向き合うこと、もっと言えば「被災者」の方々と向き合うことはなかったように思う。

「被災地」の一人ひとりのことを考えるようになったきっかけ

そんな私が、東日本大震災と向き合うことになったきっかけが、前にも書いた通り、弊団体の内部向けイベント「震災の動画を見る会」だ。震災発生当時に見た、津波の映像はかなり強烈に印象に残っていたし、亡くなった方、行方不明の方を合わせると2万人近い人が犠牲になったことも知っていた。ただ、私は被災地の方々がどのような思いで今日まで過ごしてきたのか、ほとんど何も知らなかった。

「震災の動画を見る会」では、東日本大震災で大切な人を亡くした方々が現在何を思っているのか、考えているのかというものだった。この動画に出てきたある1人の方の話だ。家族を亡くし、何年も見つからない遺骨を探し続けた。ようやく遺骨を見つけ、安堵する一方で、今までは遺骨を見つけることがゴールだと思っていたが、実際に見つけるともうこれ以上先に進むことはないのだという思いに駆られる。

どうしようもない無力感に襲われた。それと同時に、自分には被災者の方々に何ができるのか、そもそも被災者とは何か、復興とは何かについて「震災の動画を見る会」以降真剣に考えるようになった。実際に「被災者」の方が体験した話や思いを聞くと、数字で何万人の方が亡くなったと聞くのでは全く重みが違った。

以前は、被災地でがれきの片付けが進んでいるとか仮設住宅から自主退去する人が出てきたというニュースを見ると東北地方の復興が進んでいてよかったなあと感じていた。しかし、「震災の動画を見る会」以来、「復興」という言葉に複雑な感情を抱くようになった。確かに、東北地方の物理的な「復興」は進んでいる。がれきも多くの場所で片付き、街も多くの場所はきれいに整備された。しかし、「被災者」の心の復興はどうか。きっと、震災から9年が経った今でも亡くした家族や大切な人を想い「復興」が進んでない人が多いのではないか。物理的な「復興」が進むことで東北地方の「復興」が進んでいると言われるようになる中で、「被災者」の方々の「心」や「気持ち」が置き去りにされているような気がしてならない。少なくとも、以前の私はそうだった。津波の映像に恐怖を感じることはあっても、2万人近い方が亡くなったり行方不明になったことに対して大変だと思うことはあっても、それは東北地方をひとまとめにした「被災地」という考え方でしかなかった。「復興」も同じである。がれきの片付けが進んだから東北地方の「復興」が進んでいるのだという考えでしかなかった。もちろんこれらは間違ってはいない。

しかし、実際に一人ひとりの体験や思いを聞くと、実は一人ひとり「復興」に対する思いも、どれだけ「復興」したと感じているのかも違うということに気付く。「被災地」と一括にしてはいけない。一人ひとり「復興」の具合もスピードも今必要としている支援も違うのだ。

「被災したことがない私たちに、被災者の方々の本当の気持ちは完全に理解することは不可能だ。それでも私たちにできることは何か。」

何度も何度も考えた。しかし、今の私にはまだこの答えが見つけられない。この答えを見つけるために私は大学生の間に「被災地」に行きたいと思う。自分の目で、今何が必要かを確かめたい。「震災の動画を見る会」は私に東日本大震災と本当の意味で向き合う機会を与えてくれた。震災から9年経った今でも私たちにできる「復興」支援はきっとある。防災教育をする団体に所属する者として、今まで気づかなかったのは恥ずべきことだ。しかし、せめても今、気付くことができてよかった。今後、弊団体の活動を通して「被災地」の方々、そして「復興」と向き合いたい。

(執筆 加古/大学2年)


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