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生きていく! 2020年12月31日-1年振り返り-

2020年を振り返るために手帳を見ると、めちゃくちゃ埋めてた時期と全く何も書いてない時期が。書けなかった時期。個人的にこの2020年はコロナに関係なくいろんな意味で生きることについて考えさせられた一年でした。

いつかの自分のために、この一年を振り返ってみます。

腎臓の小さい癌

元々入退院を繰り返してたんやけど、腎臓に小さな癌が見つかったのが2019年の秋ごろ。本当にいい先生に出会えて、病院に行くのが楽しい日々ではあったけど、流石に癌という言葉を聞く身も竦む。月に2回が1回になり、少しずつ病気といいお付き合いができるようになったのが2020年の始まり。

人生を変える2ヶ月

1月から2ヶ月間、SUNABACO高松が実施するプログラミングスクールに通った。何かを学びたい。自分に全くもって自信が持てなくて何かに熱中したいという気持ちが強くて。朝から昼まで毎日。めちゃくちゃ楽しくて難しい。知らない世界を知る、調べるためにひたすら手を動かし続けることができた。講師陣もめちゃくちゃ面白くて、全員がこのスクールで人生変わった人たち。とにかく答えを教えないけど、調べる術はしっかり見せてくれる。
プログラマー、エンジニアを育てるというより、誰かの課題を解決できる人になるためのキッカケを掴むスクールだと思う。卒業後、その場がめちゃくちゃ魅力的だったので少しの間だけ運営チームの仲間に入れてもらったけど、受講とは違って運営は完全に実力不足!3ヶ月ほどだけお世話になったけどみんなのパワーについていけなかった。あー自分は自分のことばかり考えてたんだなーと気づかせてもらえた数ヶ月。本当にありがとうございました。

そのSUNABACO高松(瓦町FLAG 10Fにあります)
今はデザイン、ウェブサービス、いろんなワークショップなどを通じてとにかく価値を生み出す人になるチャンスはめちゃくちゃ作ってくれるので、人生変えたい人はぜひ覗いてみても。

小豆島ストーンズ

同時進行で、2019年5月にスタートした  #小豆島ストーンズ の運営について自身の力の限界を感じていて…。小豆島スポーティーズはみんなで運営するクラブだけど、その中に設立したローカルプロバスケチーム小豆島ストーンズは、事業の責任者が僕自身。



全国から、バスケでチャレンジしたいみんなと地域のために活動するという仕組みづくりをやっていきたいと思うものの、嵩む経費や選手が望む形をなかなか自分の力では実現できず、誰とも相談せずに抱え込んで、よりいっそう悪い循環を作ってしまっていた。

ドアを開けたらエンジェルロード


それを是正するために小豆島にずっといながら、昼間はチームと行動できる環境をと思い、朝と夜、アルバイトをしてチームにフルコミットできるようにしようと、島のみらいプロジェクトで知り合った小豆島国際ホテルの森本常務の計らいで、常務のサポート係というアルバイトをスタート。8月から公式Twitterの担当の他、人手不足の売店のサポートや制作物のお手伝いを朝と夜することに。

このTwitter 僕は中の人のひとりとして運用中。

自分ではなく、誰かのためのものづくりスタート

9月。体調も芳しくなく、その他諸々もあり小豆島ストーンズの活動を自身は少しおやすみさせてもらうことに。初の地域リーグ参戦を前に、ちゃんとした体制を作ってあげることができない歯痒さと、自分が集大成として立ち上げたチームの船出を見れない悔しさで、呼吸することすらめんどくさくなってくる。それでも、このチームは絶対に残って欲しい。一緒に作ってくれたメンバーがしっかり支えてくれて、コロナで大幅に減った試合数の中初めてのシーズンがスタート。

スポーツではない仕事で口に糊をしないといけないので、この頃からウェブサイトの制作や、ポスターデザイン、コピー制作などの愛機のPCでできる仕事を増やして行く。元々デザインは勉強してきたわけではないけど、エヴェッサ、ストークス、アローズ、スポーティーズ内で自社制作していたことが僕を救ってくれたし、ここでもSUNABACOの2ヶ月は大きかったと思う。
とはいえ、これまでは自分が関わることについての制作ばかり。伝えたいこともわかってるし、伝えたい気持ちも強い。誰かが頑張っているものを伝えるためのものづくりが、これほど難解で、とてつもなくワクワクするものだと気づく。

屋号を100に。

11月。経営に必要なことは何か?自身の失敗体験で、いろんな人に迷惑をかけて初めてわかった気がする。想いだけではできないことはもちろんだけど、実現するために本当に何が必要か。それをちゃんと準備し、怖がりながらも決定していく力と覚悟が僕には足らなかった。でもたった一つだけ。実現したいと描いたものは間違ってない気がする。言い換えれば着想と企画はできる。動くことも。だけどそれを事業として経営する人としての器がない。そこは無責任でまるでダメだ。
ならば、誰かの事業を実現するために一緒に走る人になろう。ひとり親方で、ジャンルなんてなんだっていい。体が動くなら、なんでもしよう。そこに想いがあり、共感できれば。一つごとでなくなんでも糧にする。百姓だ。ということで尊敬する幸崎君に名付けの親になってもらい、100スタート。

国際ホテルのSNSサポートや売店マンも続けながら、スポーティーズ内の企画や、ナイトツーリズムの企画の一部、お店のポスターデザインに、チラシ作り、塾のパンフレットをみんなで作ったり、スポーツチームのブランディングなど、身体の許す限りだけどいろんなことをやらせてもらってる。まだまだ力が足りないし、もっともっとそれぞれの分野を勉強したい。そのために100円でとりあえずゴール決めない打ち合わせしませんか?という活動もしていて、現在まで17名の方とオンラインやオフラインでお話させてもらった。誰かと話すと、お互いに予期せぬ答えが出てきたり、その人のこと、事業のことを深く知れたりでめちゃくちゃ面白い。

この一年で、たくさんのものを無くしたし、たくさんの人に迷惑をかけてしまって、もう本当どうお詫びしていいのかわからない。だけど、来年はもっともっとたくさんの作物を育て、草鞋を編み、炭を売ったりできる百姓になって行こうと思う。とりあえず命は続いていて、まだ死なない。ならばできる限り生きて、いつかこれまでのみんなに恩返しできるようになりたいと思う。いつかストーンズのチカラにもなれるようにもなりたいし、彼らの試合でホットドッグを投げ売りしたい(将来の夢がそれ)

夢中のキッカケをつくり続ける。

スポーティーズ設立時に掲げたミッションは僕の個人ミッションでもあって。形は変われどこれだけはやめたくない。

自分語りばかりをしてしまったけど…。正直て、体調、借金、自分の不甲斐なさに逃げたくて仕方がなかったけど、結局人間であることから逃げる勇気はなかった。いろんな人がこんな僕でも助けてくれて、今再生しようというところまで来させてもらった。

2020年、忘れられない年になりました。
2021年、違う意味で忘れられない年にしていきたい。

お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。


サポートお待ちしてます。 そりゃもうお待ちいたしております。