#113 承認欲求の取り扱い方
少しNoteの更新が滞っているのは、下書きは何個かは書いてはいるのだが、それを公開することに、この所少し躊躇しているからだ。
誰かに向かって、世間に向かって、もちろんこの国の政治や行政に携わる人たちに向かって、「違うだろ~」と叫びたいことは日々湧いてくる。
それを文章にしてここで公開すると、無名な私には共感されただろう内容の時のみスキマークが付くのかなあと思っている。
つまり私の意見に反論するということに、価値を見出す人はほぼゼロなのだと思う。もちろん私も自分とは全く正反対の意見を述べている人にコメント欄などで反論することもない。結局、「共感できない無名な他人の意見」に対して、一々反応などする気も起らないのがほとんどの人にあててはまると私は考えている。
一方政治家や有名人が非常識な言葉や言動をすれば、いわゆる炎上という状態になり、一般人と言われる人々はそこへ何らかのアクションを加えるということが、SNSなどの普及により今や手軽に行われている。
そして、それを上手く利用してマスコミは話題、つまりは商品をほぼ無料で入手して、商業活動にさらに励んでいる。
「人間の承認欲求を上手く利用する側」と、「承認欲求を満たしたい者達」の仲を取り持つSNSはこれからも、進化していくと思っている。
だが、noteでもYouTubeやTwitterでも、TVと同じように、承認欲求を満たしてくれるほどの受信者を獲得できるのは、ほんの一握りの発信者であろと思う。
それ以外は、出会うこともなくその他大勢の中に埋もれている。それでもなお発信続けることが容易ではないことは、SNSでの発信経験には強く共感されるだろう。
発信が営利目的でない場合に、自分の思いをストレートに出すのか、受けそうな共感されそうな話題を作り、より多くの共感を得て承認欲求を満たすのか。
ブランド品を携えて人目を惹きたいのか、気軽に安価な財布を持ち歩くのか。
高級車に乗りいつもピカピカに磨きながら、車体に傷をつけないよう気を使いながら運転するのか、傷や錆びだらけの車を、気楽に移動手段として利用するのか。
生活行動にも承認欲求が深く入り込んでいるのだと思ってしまうと、自分の場合は息苦しくなってしまうなと感じた。
もちろん他人に不快な思いをさせることは避けるべきだと思うが、この考え方も承認欲求の中に飲み込まれているかもしれない。
どういう思いで他者が私を承認するかまで考える能力を身に着けるのは、私には無理だろうなと、寂しいが思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?