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“あの社長”その1 情緒不安定・歌う社長【上】


無事、ギリギリの出席日数で専門学校を卒業し、何とか雇ってもらえたA社に本格的に勤め始めた。

一番初めに教わったこと、それは「朝礼ではとにかくメモを取って!別に聞いたことを記録しなくてもいいから。何ならうんうん頷きながらペンを動かしてればいいから!」と従業員全員お揃いのメモ帳を渡されながら言われた。
そして、採用されてからこれまで会ったことの無かった社長と初日の朝礼で初対面である。(大企業ではない。零細企業なのに職場の近くのマンションに“社長室”を借りており、社長夫婦で籠っているのである。)
自分の親より少し年上かというくらいの、ロマンスグレーの髪に全身黒い服でビシッと決めて背筋だけは異様にいい一見品が良く若々しいおじいさんだ。


「おぉ!君がカッカ君ね!よろしく!新卒ね?先輩に何でも聞きなさい!これからは女性が活躍する時代だよ!!」


ハイ!よろしくお願いします!と返事をする私をよそに先輩方は目を伏せていた。のちのちの人生の中で学ぶことだが、「これからは女性の時代」などとわざわざいう奴にろくな経営者はいない。本当にそう思ってたら初対面の相手にいきなりそんなこと言わない。事実男尊女卑が爆発日が来る。


早速朝礼が始まると一斉に先輩方が、社長3:メモ帳2の割合で目線を上下させながらセカセカメモを取っている。合間合間に「は~」とか「ほ~」とかさもすごいことを聞いたようなわざとらしい相槌をうつ。それが毎日30分から調子がいいと1時間続く。
とにかく、ここはそういうところなんだと自分に言い聞かせ、とりあえず社長の言っていることをみんなのまねをしてメモをとる。


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根っからの末っ子気質でムードメーカー、年上の懐に飛び込んでいくのが得意な私は、1週間もすると仕事にも慣れ、人数の少ない会社なこともありすぐにみんなと打ち解け、ブスだけど今はもう手放してしまった若さという武器でかわいがってもらえた。

そして、自分の直感からも、先輩方から少しずつ漏れてくる話からも、社長がだいぶ、だいぶ、ちょっと、大変な人ということが分かってきた。


ある日の朝礼、その日のお題は「歯」である。
前日に歯医者さんに行って歯石をとってもらってすっきりしたらしい。そこから社長が得た教訓は

「歯のきたねぇやつにはろくな奴はいねぇ!お前ら歯を磨け!お前とお前は煙草を吸っているな!すぐにでもクリーニングに行け!今後は歯並びの悪いやつは採用しない!!!」

だった。
「採用しない!」のところでは近くにあった椅子を蹴飛ばしていた。
「皆さんは一番最近、いつ歯医者さんに行きましたか?」という穏やかな声から始まり、「採用しない!!」の激高である。
その年の情緒不安定オブザイヤーには確実にノミネートされていたと思う

そこから30分、
 ・自分が選んだ歯医者がいかに素晴らしかったか
 ・歯石を全部取るのにどれだけ時間がかかったか
 ・どれだけ血が出たか 「ドゥワ~!っと洗面器いっぱい!」らしい
 (つーかおめぇも昨日まで歯のきたねぇ奴だったんじゃねぇか)
 ・虫歯が無くてもどのくらいの間隔で歯医者に行くべきか
 (歯医者の受け売り)
 ・歯が綺麗になったことによって心も澄んで仕事に身が入る
 ・だから歯が汚いやつは仕事ができないはずだ
などの経験及び感想を聞かされ、メモをとる。

そのころには私もメモの取り方のコツをつかみ、「血が出た」のところで痛そうな渋い表情をしながら頷き、そして社長の似顔絵を描いていた。


入社してわりとすぐに分かったことだけど、誰もまともにメモなんて取っていなかった。
食べたものを何日前まで思い出せるか遡ってひたすらメニューを書いていく人、次の休みに買うものをメモする人、円周率チャレンジをする人、過去に付き合った女およびワンナイトラブだった女たちの名前をなるべく多く思い出そうと書き出す人。


そんなこと知らない社長は、毎朝30分から1時間演説するのである。


ただ、うっかりしていると自分の演説に感動して泣きだす。
起業したばかりのころの苦労話をしながら鼻水ダラダラ本泣きする。
かと思えば過去に裏切られたことを突然思い出し顔を真っ赤にして空中に激怒する。

完全に朝礼というよりエンターテインメントだ。


そしてついには歌う。


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社長は趣味が高じて本格的に民謡(ここはフィクションです)をやっていた。芸名もあって、芸名の名詞も持っていた。そして時々アマチュアの大会に出たり、専門誌に載ったり、その本拠地に足を運んでは技術を磨いていた。
オリジナル曲ができようものなら、前期の売り上げが良かったというウキウキの演説のあと、従業員を労おうと目を閉じて熱唱してくれる。

そんな時は目を閉じているのを幸いと肩を震わせ笑いをこらえる先輩や、とにかく天井のライトをにらんで心を無にしてやり過ごす先輩など、みんなひたすら時が過ぎるのを待つ。
歌い終わって社長が目を開けると肩を震わせていた先輩の目には笑いをこらえた涙が溜まっている。
それを見て感激した社長は肩を震わせた先輩をハグして嗚咽して泣くのである。もちろん先輩の溜まっていた涙も社長の肩にポロポロ落ちる。(笑いが決壊)一瞬そこが職場であることを忘れる光景だ。


今の時代ではありえない話だが、民謡のソロリサイタルをすると社長が言いだした際は、従業員が一丸となって会場を決め、招待状を出し、休日返上でライブスタッフになる。もちろんお賃金は無しである。そして高らかにうたう社長。いいタイミングで合いの手を入れるのは正社員の役割だ。もちろん、終了後には社長が感激して、泣き、歌い、従業員を抱きしめる。
試用期間中のアルバイトでありながら見よう見まねで合いの手を入れてみた私は、それはそれは気に入られ、社内での立場も上々だった。


こんなエンタメ要素強めの社長から心底嫌われてしまう日が来てこの社長との物語も終わってしまうなんて、このころ朝礼のメモをとるふりをして社長の似顔絵を描き、そいつに○さる刃物を書き足したり、首を○るロープを書き足して上手に時間をつぶしていた私には知る由もなかった。。。



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“あの社長”その1 情緒不安定・歌う社長【中】

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