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早稲田卒ニート74日目〜畏れ、ためらうことの価値〜

ビートたけしには、どこか「照れ屋さん」なところを感じる。こめかみの辺りをポリポリしている仕草がたけしにはピッタリだ。そのシャイな、恥ずかしがりな感じが、かえってたけしを一層魅力的に仕立て上げている様な気がしてならない。

幼い頃、「ビートたけしのTVタックル」など何かしらたけしの出る番組を見ては、面白くて笑っていた。しかしその笑いは決して純粋無垢なというか、無邪気な笑いでなかった。それは今振り返ればたけしの「知性」とでも思われる何かに対する感心に由来する笑いであったかも知れない。言わば、「頭が良い」ということが、たけしの発言から素直に直感されたのである。例えばたけしが天皇陛下の前や、他の芸人の前などで読むあの定番の祝辞なんかを聞いていても、そのことが存分に思い知らされる。

たまらなく面白い。どうしてこんなにも面白いことが言えるのか。が、そのたけしの人生の背後にも、苦悩は横たわっていたはずだ。それは、誰もが知るだろう交通事故やフライデー襲撃事件よりも前にである。

都立高校ではあっても学力はそこそこの学校で、別に勉強に熱中したわけでもなければ、その代わりに大好きな野球に打ち込んだわけでもない。硬式ではなく軟式で、しかもみんな下手っぴだった。そうして何事をも成し遂げぬままにただダラダラとした高校生活を送り、それでも何とか明治大学には入ったものの、「これからの時代はエンジニアだ」と母親から言われて入った工学部には大して興味が持てず、ちょうどキャンパスもお茶の水から神奈川の生田に移ってしまい、実家から2時間もかけて通うのが億劫だったという。それに、ステレオタイプな「幸せ」を目指す高度成長期の日本にあって、まさしく自分も「母親」というフィルターを通じてそれを強要されていた。が、そんなものにはどうも馴染めない。

生田へと向かう小田急線には、新宿駅で乗り換える。いつからか、ついぞ新宿より先には行かなくなった。たけしは新宿に魅了され、その虜となったのである。ジャズ喫茶、寺山修司の天井桟敷、唐十郎の紅テント、横尾忠則の絵…。「ステレオタイプ」という退屈な色合いの視界に、新宿の景色は刺激的な色彩を与えずにいなかったろう。「ガツンと洗礼を受けた」たけしは、ジャズ喫茶に入り浸ったという。では、たけしは新宿に感化されて芸の道に進んだのか。それは否、であるらしい。というより、「そんなにカッコいいもんじゃなかった」と言う。

当時、ジャズ評論にかかわろうか、それとも映画関係に進もうか、なんて考えたこともあった。新しい文化に触れたいんだったら、唐十郎や寺山修司のところに行ったっていいはずだ。

進まんとする道に相応しい場を選ぶこと。それは確かに「いいはず」、なのである。が、それは同時に「いいはず」でしかなくもある。たけしは続けてこう言う。

結局のところ、俺にはその勇気がなくて、逃げたんだ。憧れだけはあるけれども、実際にアングラ芸術や文化的なものを自分でやれるのかというと話はまるで違う。その一歩を踏み出すことができなかった。

この発言に急所があると思う。この「勇気の無さ」というのは、それこそただの「臆病」とはまるで違うと読まねばなるまい。無論それもあったのかも知れぬ。しかし「自分でやれるのか」と言っている以上、これはある種の「ためらい」、或いは自己の「相対化」と言って然るべきだ。芸術や文化を前にして己の小ささを思い知るという意味で、真の教養への足がかりがここにあるのである。ダラダラとした高校生活、ステレオタイプな「幸せ」との不和。そんな「青年たけし」の前に現れた巨大な芸術・文化。そこにはほとんど「畏敬」の念さえあったのではないか。むしろそれがあればこそ、芸術へ足を踏み入れられるというものだ。無批判な自己肯定に自惚れたナルシストなんかに、芸術などわかってたまるものか。芸術なり文化なりを語る人の中に、この「畏れ」を抱いてそれを語っている人がどれだけいるのかということは、考えてみるべきだろう。

何より私はこれを読んで気の晴れた思いがした。昨今増えている起業家、彼らの言う「無いなら作ればいい」などといった創造への躊躇い無き邁進の姿勢に、ずっと妙な違和感を拭えずにいたところなのである。心のどこかで起業家連中への軽い侮蔑にも近い感情を抱いていたわけも分かった様な気がする。彼らには、この「畏敬」が欠けているのである。彼らからナルシストの匂いがしてきたのもそのせいだろう。

そしてたけしのこの発言は、私の背中を押してくれる言葉でもある。私は教師になりたいとは思う。が、素直に、無批判に、その道を選ぶことはできず足踏みしたままである。即ち、教師になることへの「ためらい」や「畏れ」が私にはある。まさに、「憧れだけはあるが、自分でできるのか」である。学力も知性も教養も経験も無い。入試問題を眺めては自らの力不足に絶望するばかりである。こんな奴が一体何を教えられ、青年諸君の人生に何を残してやることができるというのか。ますます「ためらい」と「畏れ」は強まる。しかし、教師になることへの「ためらい」も「畏れ」も、それは何も邪魔ではなかった。何の「畏れ」も「ためらい」も無くなったらスタートを切れるのではない。むしろそれを失ってしまっては教育に盲目である幼稚な教師になりかねない。幼稚な教師には、教育どころか「お遊戯」くらいしかできまい。「先生」であることを畏れぬ教師に、一体何ほどの教育ができよう。「先生」なんて呼称される自分への恥じらいを無くしたら、教師なんかやっていられなくなるに決まっている。自己批判の積み重ね、それが肝心だ。

やっぱり人間、少し「照れ屋さん」なくらいがいい。少なくとも私の目には、そんな人が魅力的に映り込んでくる。

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