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寂しさに人を巻き込まない

寂しい、という感情がある。結構しっかりある。
この感情にやたら存在感がある理由は、怪我で痛んでいる時と脳の動きが同じだからだ。寂しくてシクシクと痛むようなこの感じは、脳で紛れもなく作り出されている信号だ。

外的要因で傷を負ったわけではない。
自分が得た情報を、自分の脳が判断して、「あ、これは寂しいに分類されますね。シクシク系の痛み信号出しときます」という結論に至った。
それだけの話だ。この痛みは自分の脳が作り出したものだ。

であるならば、この寂しさを人と関わることで解消しようとするのは、無粋なことではないだろうか。

感情の処理をアウトソースしたくない

「寂しい」という感情に責任を持ちたい、と最近思うようになった。

例えば、人に会えなくて寂しいとする。寂しくない状態に持っていくには、いろいろな手段がある。SNSで人と会話することもできるし、友人たちに連絡をすることができる。恋人に会いに来てと言うことも。

しかしこれは、「寂しい」の感情の処理を他人に任せている状態ではないだろうか?自分では持て余した感情を、他人にアウトソースしているだけなのではないか?

「寂しいから」という理由で、人に連絡したくない。
相手との関係が目的ありきになってしまうから。相手との関わり以外目的があると、関係は代替可能になってしまう。目的達成ができるなら、誰でもいいはずだから。

アンガーマネジメントとか、自己肯定感向上とか。
自分の感情と向き合うことが重要視されている。尊いこととされている。では、「寂しさ」とも向き合えばいいのではないか?自分で向き合う前から、他者へアウトソースするのはいかがなものか。

アウトソースにゴールはない

そもそも人と関わるだけで、寂しさは解消されるのか?
そんなこともなかったりする。寂しいからと会うことにした相手が、ずっとケータイをいじっていたらどうだろう。多分寂しい。

じゃあ、ケータイをいじらず、ふんふんと話を聞いてくれたら?
それだけで足りるだろうか。相手は聞くだけで、話をしてくれなかったら?あ、自分ばっかりだ、と気づいてしまったら?寂しくなるかもしれない。

じゃあ、相手が自己開示してくれたら?
そこまでしてくれたら自分の寂しさは確実になくなる?寂しさの解消はどれくらい持続する?...

というように、寂しさの解消をアウトソースしたところで、ゴールはない。たとえ対応を事細かに対人サービスで注文しても、「そこまでを無料で慮ってくれる人がいない」という寂しさが湧き出てくる。

他人を巻き込んだところでゴールはないんだから、自分でどうにかした方が双方のために良さそうだ。

相手と共有するためだけに関わる

他者と関わるときは、共有したいことがあるときだけにしたい。何かしらを勝手にぶつけて、勝手に処理を押し付けることはしたくない。

その人だからこそ過ごせる時間というのを、もっと大切にしたい。「どうして話したいのか」「どうして会いたいのか」に、できるだけ寂しいは含めずにいたい。

楽しい時間を共有したいとか、感情を共有したいとか。相手との関係が積み上がっていくような、そんな時間を他者とは過ごしたい。

寂しさは内へ向かう

寂しさとは、なんなのだろうか。

寂しさとは、人間に元々プログラムされている機能だ。
「群れからはぐれてはいけませんよ」「社会性を持たないと群の中で生きていけませんよ」
そういうのを感じるために、備え付けられているもの。太古に生きていく上で必須だった感情だ。

だから、寂しさがなくなることはない。一生付き合っていくものだ。
自分で向き合い方を知っていた方がいい。

寂しさを飼い慣らすには

人間のデフォルトのプログラムだからといって、「じゃあ寂しいを抱えて生きていればオッケーなんじゃん」とはならない。
それではあまりにも岡本太郎すぎる。普通につらいし。
いくつか対処方法を知ったので、メモしておく。

・眠る
くよくよ悩むやつに対して「もう寝ろ!」は正しい対処方法の案内だ。
孤独な人は眠りが浅いらしい。眠れば寂しいが消えるのか、寂しいが消えれば眠れるのか、順番はよくわからない。
でも、睡眠を取ることは寂しさの解消につながるかもしれない。

自分自身で解消するには、脳内物質のバランスを整えてやるといい。
「セロトニン」というやつが、わたしたちの感情のバランスを整えてくれる。

・太陽の陽を浴びる
・トリプトファンの多い食べ物を摂る
・走るなどのリズム感のある運動をする

とは言ってもね

自分が寂しさでいっぱいの時は、何もする気にならないけど。
科学的に対処法が証明されていたって、わたしたちは別にそれを求めていない場合がある。

自分の感情はそんな単純に左右されるものではないと思いたい。感じたことが脳内物質の割合で変わるなんて味気ない事実を知りたくはない。

ただ、寂しいという気持ちを蔑ろにせず生きていきたい。科学的に間違った方法かもしれなくても、とにかく自分で咀嚼して消化したい。
自分が産んだ感情なのだから。

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