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迷うは自由
自分の「これから」について、迷ったことはあるだろうか。
多くの人が、「YES」と答えると思う。
(というか、そうであってほしい)
なぜなら、迷うって自由の証だと思うから。
迷うということは、選択肢があるということ。選ぶ道が多くあるというのは同義だ。選べるから、迷う。
令和の時代に今29歳の私には、選んでいい道がいくつもある。
そこから損得感情や、理想像や、できることや、できないことを除外することを通して、絞り、選んでいく。しかも、新しく作り出すことだってできる。
選ぶことが多いということは、結局決めない、ということも多い。人の行動心理で有名なジャムの話がある。スーパーでジャムを6種類の試食をしたところ、どれかを選んで買う人は多かった。でも20種類以上の試食を出したところ、注目こそ集めたものの、買う人は少なかったという。
人は、選択肢が多くなると選べなくなる。選択しない、という選択をする。会社や仕事を愛している人がいることは承知しているが、いまだサラリーマンが大半なのは、サラリーマンになることが自然な流れであり、選択をしない、という選択を知った結果もあるのかもしれない。
さて、迷うにも、いろんな迷い方があると思う。今回は自分が乗り越えてきた、3つの迷いを書いて整理させてもらう。
1.世の中の多数派と、自分やりたいこと
普通、という言葉って、もともとは何のために生まれたのだろう。「あなた、おかしいっすよ」ということを指摘するために生まれたわけではなかろう、とわたしは思う。
でも、世の中は時にわたしたちを縛る。つなぎとめてくれる、ともいう。
この前読んだ「その日暮らしの人類学」では、わたしたちのように未来を計画し、収支をコントロールする人々を経済活動を回すのに"使える人"たち、と呼ぶ。そしてわたしたちは、使える人であることを望んでいる。そうすると、自然と選択肢は狭くなる。
守られてもいるのだから、この制限に目くじら立てる必要もそんなにないかな、と思いつつ、その日暮らしに憧れる自分いる。
2.自分のやりたいことと、自分のやりたいこと
やりたいことが複数あると、どれを選択するのか迷う。時間には限りがあるので、絞らなければならないのだ。あれもこれもやってみたい、学んでみたいというのは大人になればなるほど増えてくる。
こんな時は、知人の助言を思い出す。「なぜやりたいのか?」を深掘りしていくのがいいらしい。
深掘りすると、抽象的な自己実現目標が出てくる。「これを学びたいって思ったのは、自分がこういう風に考えているからなのか」みたいな。
そうすると、やりたかったものたちは、「目的」から「手段」へ変わる。
手段になれば、選択がたやすくなる。目的から見て、一番効果的なものを選べばいい。
3.ボヤーーっとした願いがあるだけで、何がしたいかわからない
一番直近の私はこんな感じだった。
なんかもっと人生に余白が欲しいけど、どうすればいいか見つけ切れてない。うまい方法が見つからない。
そんな時は、学生時代の頃からの旧友なんかと話すといい。
肩肘張らない言葉で話せるし、何より学生時代の方がわたしは恥ずかしいやつだったに違いないんだから、普段は話せないようなことでもすらすら言葉にできる。
自分の本質を知っている旧友は本当にありがたい。
迷うのは選択肢があることがもっと喜びになるといいのにな、と思う。選ぶ事柄がデカくなると、その影響にビビってしまうけど。
ケーキを選ぶみたいな、新しい部屋を探すみたいな、旅行先を決めるみたいな、そんな選び方が人生に対してもできたらいいなあ、
なんて思います。
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