自分の中のMUSTリストを消し去りたい
・人の役に立たねばならない
・人を思いやらなければならない
・規則正しく過ごさねばならない
・生産的に過ごさなくてはならない
・無駄はなくさなくてはならない
・いつでも全力投球でなければならない
・わかり易く成果の出る学びを毎日得なければならばい
・実感できる成長をしなければならない
・仕事はしなければならない
・仕事の準備に時間をかけなければならない
・優秀でなければならない
・社用slackはいつでも見なければならない
これがわたしの「しなければならない」リストです。
5時半に起きて8時には絶望してる
不思議な仕事をしているので、わたしの始業時間は午後。
なので、午前中はほぼ自分の時間になる。
割と早起きが得意なので、5:30~6:30の間で起き、7時間近くある自由時間を謳歌する毎日。
はじめはウキウキしながら過ごしているのだが、8時頃にそれはやってくる。
「何もしてない!!!」
急に絶望するのだ。何もしてないのに、何も進めてないのに、もうこんな時間?と、うんざりした気持ちになる。
2時間半あったのに、何も出来てない。本当に鈍臭い。もう今日はおしまいだ。また時間を無駄にした。わたしは何をしてたのか?など、自己嫌悪は止まらない。
反省のつもりで、行動を書き出してみた。
・散歩
・ストレッチ
・洗濯
・掃除
・作り置きづくり
いや、やってないことはなくない?
こうやって冷静になってから書き出すとそう思えるけれど、その時は真剣に絶望するのだ。何もしていない、今日も何も進めていない、また同じ日々の繰り返しだ。終わった。今日も時間を無駄にした...宿題をやらずに寝た週明けのような焦りが止まらなくなる。
しかもこれ、前日や起きてすぐにスケジュールを組んだとしても、スケジュール通りに動いたとしても起きる現象なので、自分でも何がしたいのかわからない。
「しなければ」は自分の価値観ではない
なんかさすがに人生の使い方もったいなくない?宿題があるわけでもない自由な大人が、なぜこんなに何かに追われているんだろう?おかしくないか?ていうか、逆に何が「したかったの?」
と、考えたところで自分の癖に気づいた。
ほとんどの用事を全て「しなければならない」と表現しているのだ。
最近読んだこの本では、自分の価値観を認知するワークがある。このワークのなかで唯一注意することは、「やらなければ」と思っていることは、社会や親が与えてくれた見方の一つであり、自分の価値観ではない。捨てて良いものと認識しましょう、ということ。
つまりわたしは自分で自分に「あるべき姿」を勝手に押し付けて、勝手にしんどくなってるのか...?
このスワンさんの本が好きで、書いてあることを忠実に実行している。
その中で、タイムリーに、「自分を縛っているルールを書き出す」というのがあった。
これだ、まずこのやらなければいけないと思っているものたちをリスト化しよう。というわけで、冒頭の「MUSTリスト」を作成した。
MUSTリストの作成と、これから
リストにあげるものは、こんな風に設定した。
・「やらないと」と口走るもの
・「やりたい」以外の動機があるもの
・生活から仕事まで、全て
悔しいことに、書き出して認知できたとしても、それだけでいきなりこの項目達を気にしないで生きるということはできなかった。今日の今日まで染みついていたものなので仕方ないと思う。
これからこの書き出したものを、一つ一つ「なんでそう思うのか」「本当に必要なのか」と問いかけていく。丁寧に咀嚼して消化して捨てていく、地道な作業が必要になる。
断捨離で言うと、保留中ボックスの中身を吟味していくところかな。
考えや思い込みはモノみたいに形があるわけじゃないし、スッと捨てられるわけじゃない。でも、押入れの中を整理するみたいに、自分がどんなルールで生きているか、本当に必要なルールなのか、じっくり考える時間があってもいいんじゃないかなあ。
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