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墓場珈琲店6。

「いらっしゃい」

マスターはそう言って、俺に微笑みかけた。
俺は彼の笑みを睨みつけ、
乱暴に近くの四人用席に座った。

無論、四人用とはいうものの、
俺は一人である。

メチャクチャに濃いコーヒーの臭いに、嫌気が差す。
ここには最近バイトが入ったと聞いているが、
俺に近づいてきたのはバイトではなく初老の店長の方だった。

「……お客さん、注文は?」

店長の眼鏡越しに、鋭い眼光が見え隠れしている。
まぁ、普段からここまで客を睨みつける店長はないだろう。

おそらく、今回は客が俺だから、こんなにひどい顔なのだ。

「なんでもいい」
「なら、普通にブラック出すよ」

彼は毅然とした、脅すような態度で、俺に言った。
俺はチッと舌打ちをする。

「ここ、砂糖は置いてないんだっけか?」
「一応あるが、そこまで質はよくないな。使わない方がうまい」
「……なら、カフェラテを頼む」
「最初からそう言えばよかったのに」

店長は小馬鹿にしたような態度をとった。
俺は「別にいいだろ」と反論するが、既に店長はカウンターの向こうに行ってしまっている。

「……あーあ、めんどくせ。なんで俺が、こんなこと……」

彼が注文の品を持ってくるまでの間、俺は小声でぼやいた。
窓の外に広がっているのは、星座が映える、美しい夜の風景。
この風景が本物なのか嘘なのかは、俺には分からなかった。

だが、少なくとも、ここで感じるぬくもりが全て偽りであるということだけは断言できる。

三か月ほど前に開店したこの店──通称『墓場珈琲店』は、あの世でもっぱらの噂だった。
なんでも、
現世に未練のある者のみがいきつく『中継地』に珈琲店ができたという。

馬鹿げた話だ、と俺は笑い飛ばしたが、
今はもう笑えなかった。

事実、俺はこれまで三回にわたってその馬鹿げた店に入って、
コーヒーを注文しているのだから。

「お客さん」
「……ん?」

店主から声をかけられ、俺は顔を上げた。
なんだか、キツいコーヒーの匂いがする。

「はい、お待ち。エスプレッソだよ」
「ブッ殺すぞ」

そう言って、俺はこの場において「ブッ殺す」という言葉の持つ意味を鑑み、反省した。
あまり、よろしい表現ではないだろう。

「……ま、若者は血の気が多いからな。今日は何の用だ、おまえさん?」
「わかってんだろ」

エスプレッソを受け取り、俺は低い声を出した。
あまりに強烈な匂いと熱さに、目から涙が出てきそうである。

いや、決してここのコーヒーが不味い訳ではないのだが、それでもブラックは苦手だった。

「……ここ一帯の『中継地』は、俺の管轄下にあるんだ。あんまり下手なことをされると困るな」
「下手って……そんな」

いいや下手さ、と俺は思った。

『中継地』で何をしようが、現世では何の変化も起きず、未練が裁ち切られることもない。生者にも死者にもなりきれない『中継地』の連中に半端な偽善を提供するなど、馬鹿げている。

「お前がこの店をやってるせいで、本来すんなり未練を諦めてあの世に行くはずの連中が、必要以上にここに滞在しちまうんだ。ヤメてくれねーか」

俺はそうやって彼を説得しようとしたが、
店長は醒めた顔をしていた。

「……前に来た時も、そう言ったな」
「当り前だ。中継地の管理者としての仕事に、支障が出るからな」
「悪いが、俺はこの仕事が好きなんだ。ヤメるわけにはいかない」

店主の口調は冷たい。

なんて身勝手な、と俺は舌打ちし、白いマグカップに口を近づけた。
また、そのあまりの匂いに吐き気を覚える。

「……砂糖をくれ」
「はいはい」

店長はまた、カウンターに戻った。
砂糖くらい各席に常備しとけよな、と思う。
セルフサービスの方が、絶対、使いやすい。

「はいよ」

店長はガラス容器に入った、角砂糖を持って来た。
角砂糖は全部白色で、木製のスプーンが容器の中に入っている。
それが机に置かれるが早いか、俺は蓋を開き、スプーンを手に取った。
角砂糖を1、2、3、4……全部で6個掬い取り、コーヒーの中にブチ込む。

「風味が壊れるよ」
「構わねぇ」

元々コーヒーに入っていた金属製のスプーンでコーヒーをかき混ぜ、
角砂糖を溶かす。
マグとスプーンがぶつかり合い、かちゃかちゃ音をたてていた。

溶けたのを確認して、俺は今度こそコーヒーに口を付けた。
さっきまでとは全く違う黒い液体を、口の中で転がす。
うん、甘い。サトウキビを直接かじるみたいだ。

しかし、それでもコーヒーの苦みを完全には隠し切れず、
時折絶望が露出していた。

「風味自体は嫌いじゃないんだけどな……もっと甘くていいだろ」
「甘くしたら肝心の風味が消えちまう」
「この店ごと消えちまえばいい」

思わず本音が漏れた。
流石の店主も、顔色を曇らせる。
あえて「冗談だよ」なんてことは言わず、彼の顔を見上げた。店長の眼鏡がコーヒーの湯気で曇っているので、視線がぶつかっているのかわからない。

「どうせ、このあたたかみも、熱も、全部半端なマボロシだ。
 ならいっそ、とっととあの世に行った方がいい。
 お前はそう思わないのか?」

この際だから、思っていた事全部言ってやった。
さらに店長の顔が曇る。何か言葉を紡ぎ出そうとしたのか、彼の口は開きかけたが、結局何も聞こえなかった。

俺はそんな彼から目を放し、再度マグに口を付けた。
甘い。そしてあたたかい。

周りを見ると、他の連中も似たり寄ったりだった。
子供から青年、大人まで。
色んな魂がいた。幸せそうに、コーヒーを飲んでいる。

「この世とあの世の苦悩の間、どんな形であれ、休息が必要だと思うんだ」

店長がようやく口を開いた。
俺は笑い飛ばす。

「自己満足だな。ぬくもりなんてマボロシだと、さっき言ったろ」
「俺が提供するのは熱じゃない。珈琲だ」
「……へぇ、成程ねぇ……」

俺はコーヒーを飲み干し、空になったマグを机に置いた。
周りを見ると、連中はまだコーヒーを飲んでいる。
ゆっくり飲むのが好きなんだか、それともただのノロマなのか。

俺は席を発った。

「ま、とりあえず今日の所は勘弁してやるよ。
 ……これからは忠告の為じゃなくて、出勤前にでも利用してやる。お前には多分、何を言っても無駄だろうからな」
「誉め言葉として受け取っておこう」

俺は中指を建てた。

「……あばよ」

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