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墓場珈琲店5。

「おにはーそとー! ふくはーうち!」

友達は、そうつぶやいて、ぼくに石を投げつけた。
ぼくは何も言わず、静かにそれを受け止める。
体から、赤と黒を混ぜた絵具みたいなのが流れてた。

痛みはほとんどなかった。
なれっこである。

「おにはーそとー! ふくはーうち! きみはーおに!」

……また言ってるよ。
おにごっことかでは、追いかける側のことを「おに」と呼ぶ。
だったら、君達の方がおにじゃないのか。
石を投げている友達は、5人。

全員でぼくをとり囲んで、あきもせず石を投げている。
ぼくは友をまっすぐ見つめた。

「へへへ、みてやんの。くやしかったらしかえししてみろやい」
「できるわけないよ、こんなよわむしに」
「おにだもんな、こいつ」

それに対し、ぼくはこう返した。

「……おには執念深いから、仕返しすると思うよ?」

そう言ったとき、石をなげる手が止まった。
しまった、と思うけれど、もう遅い。

「こいつ」
「やっちまえ」

また石が飛んでくる。
もう冬も明けてるから、冷たい雪混じりの石は飛んでこない。
代わりに、体中が熱くて、痛かった。

ぼくはしゃがみこんだ。
すると、友達はぼくに二歩近づき、今度は石だけでなく足でけってきた。

おなかをけられて、ぼくは血をはく。
しかし、ここは学校のうらだから、だれも気付きやしない。
ぼくは血をはいた。
すると、かれらはより楽しそうに笑う。

「けるの、いいな」
「じゃあさじゃあさ、なぐってみようぜ」

ぼくはもう、何も言わなかった。
何を言ってもむだだと分かっていたからでもあるが、
それと同時にぼくがいじめの対象になることで、他の人にいじめの矛が向かないと知っていたからでもある。

空は赤くそまりつつあった。
ぼくの目がおかしくなったのか、それとも夕焼けの色なのかは分からないし、知りたいとも思わなかった。

ぼくは痛みをこらえる。
これまで石を投げられたことはあったが、なぐられたことはなかったので、少しつらかった。

また、歌が聞こえだす。

「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」
「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」
「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」

……まだ言ってるよ。

ぼくはあまりにもバカバカしくて、ため息をこぼした。
いじめっ子達はだれも、それに気が付かない。

そういえば、とぼくは思い出した。

今日は節分だっけ。
だからみんな、「おに」に石を投げたがるのか。
ぼくはうわの空で考える。

豆はあんまりすきじゃなかった。

でも、たぶん、今日が節分なら、母さんは豆料理をふるまうだろう。
父さんもあんまり豆が好きじゃないから、料理が余っちゃうかもしれない。
母さんってば、ぼくたちが豆きらいなのを知っててなお、季節の料理をふるまうからな……

僕はふっと笑った。
いたみは相変わらずともなっているが、
心のいたみは治まっていた。

友だちはまだ、歌いながら、ぼくをいためつけている。

「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」
「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」
「おにはーそと! ふくはーうち! きみはーおに!」

そうやって音が校舎裏にひびいている中、一つだけちがう声が聞こえた。

「おにはーうち! ふくはーそと!」
「あっ、まちがえてるぞ、こいつ!」

五人のうちのリーダーが、声を出した。
ばかやろう、とまちがえた友達に向け、心の中でぼくは叫ぶ。

こんな状態でまちがえなんかしたら……

「おにはそとなんだぞ! あっ、そっか、おにがほしいのか、おまえ!」
「まじか! じゃぁ、おれがおにのきびしさをあげる!」

そう言って、一人が手を上に挙げた。
その先には、さっきまちがえた友達がオドオドした目で立っている。
あんまりしちゃいけないことと分かっていたけど、ぼくは舌打ちをした。

ゴンッ、というにぶい音。
まちがいなく、ぼくの友達がぼくの友達になぐられた音だった。
ぼくは思わず、耳をふさいだ。

……ぼくの友達を、なぐらないでくれ。

自分の事を散々なぐってきた者でさえ「友」という自分のバカバカしさを、一人笑う。

ぼくは弱い。
だが、少なくとも、友達の痛みを代わりにこうむるくらいのことは、
ぼくにだってできる。

「やめろ!」

ぼくはもう一度手を空にかざした友達と、
泣きそうな、あかい顔の友達の間にわって入った。
いや、「入っていた」。

体が勝手に動いていた。
これまで一度たりとも、いじめを止めようとは思わなかったのに。

「なっ……」

おどろいた顔の友達。
ぼくが実際に見たのは、今まさになぐりかかろうとしていた方の顔だけだったが、おそらくぼくの後ろの友達も、おどろいた顔をしているのだろう。

ふり降ろされる手は、とまらない。
拳はそのまま、ぼくの顔にせまり──


──ぶつかった。


変な感覚がした。
本来曲がらない方向に手が曲がったみたいな、
とつぜん、テレビが消えちゃったみたいな、

そんな感覚だ。

そしてそれも束の間、見える景色全体が、真っ赤に染まる。
痛みは、不自然なほど感じない。

ただ、なんだろう。
これまでとはちがって、
熱さもなかった。

むしろ、冷たい。
ぼくは後ろにたおれ込む。

「やばくないか、これ……」
「ど、どうしよう……」

遠くで声が聞こえる。
ぼくは、何を言っているのかもよくわからぬまま、目を閉じた。


***

「……あれ……これは……?」

苦い香りで、ぼくは目を覚ました。
ぼくはあわてて、自分の顔をさわってみる。

そこに、生暖かい血液はなかった。
それどころか、痛みも残っていない。
まるで、あの出来事が嘘だったみたいに。

ぼくは、周りを確認する。
そこは、めったに行かないような、
ちょっと高めっぽいおしゃれなお店だった。

さっきから鼻に入ってきている香りから考えるに、
おそらくコーヒー屋さんだろう。

街で見かけても、「どんな味がするんだろう」と不思議がる程度で、
特別意識することはなかった。

なのになんで、ぼくは今、コーヒー屋さんにいるのだろう。
ぼくは不安を覚えた。

『親と一緒でない場合、飲食店に勝手に侵入することを禁ず』──

それが、ぼくたちの学校のルールだった。
当然、そのルールにはこのコーヒー屋さんもふくまれるだろう。

「えっと、ご注文は?」

急に話しかけられて、ぼくは思わず襟を正した。
見ると、やせ気味体型のおねえさんが、メモ片手にこちらを見ている。

ぼくは非常にあせった。
大人といっしょじゃないと、こういう場所に来ちゃいけないのに。

しきりに目玉を左右させる。
店長らしき初老の男性と、客のように見える男二人、女が一人。
みんな、白いマグカップでコーヒーを飲んでいる。

「……えっと、あの……ごめんなさい、こういうところへは一人じゃ来ちゃいけないので……」

必死にぼくは声をしぼり出した。
すると女の人は、これまたオドオドした様子を見せる。

「えーと……こういう時は、どうすればいいんだっけ……僕……いや、わたしは、えーと……」

ぼくの『おどおど』とお姉さんの『オドオド』は、少し違うようだった。

気まずい空気が、店内に流れる。
ぼくはだまりこむしかなかった。

幸いなことに、渡りに船、静けさはそこまで長くは続かなかった。

「なら、俺の所に来いよ、少年。別に、悪いようにはしないさ」

明るい男の人の声。
声のした方を見ると、さっき確認したお客さんのうち一人が、
マグカップ片手にほほ笑んでいた。

いつもだったら、絶対に知らない男の人のところへいかないだろう。
しかし、今日のぼくはどこかおかしかったのか、
迷うことなく男の人のとなりに座った。

カウンター席には座ったことがなかったけれど、
思ったよりイスが高くて、座るのに苦労した。

「……ええと、それで、ご注文は……?」

場所を移動したぼくに付いてきた店員が、
再び問う。
男の人が、ぼくのかわりに答えてくれた。

「アメリカーノ……じゃなかった、カフェモカ一杯」
「かしこまりました」

女の人は安心したような笑みを浮かべ、カウンターの中へ入る。
店長に注文内容を耳打ちするのが、少しだけ聞き取れた。

「……で、少年。コーヒーは初めてかい?」

例の男の人が、こっちを向いて笑いかけた。
よく見るととっても優しそうな顔立ちである。
ぼくは目を見て答えた。

「は、はい……」
「そうか。コーヒーの味もわからない若者が、ここに来ちまったのか……
 ……そうか……」
「……?」

何を言っているのか、よくわからなかった。

「いや、気にしないでくれ。いずれにせよ、コーヒーの味が分からないお前も、ここのコーヒーには一発でハマるだろうな」
「……そんなに、おいしいの?」

ぼくはきいた。
男の人はうなずく。

「ああ、そりゃ勿論だ。
 俺も結構なワカモンで、コーヒーの良しあしなんてわからないけど……でも、ここのコーヒーがうまいってコトだけはわかるんだ」

「期待して待っとけよー?」と、彼は結んだ。
自信満々な発言にぼくは図らずも、幼ち園児みたいに目をキラキラさせる。

それからは、二人で少し話した。

ぼくがコーヒーをほとんど飲まないということ、
さっきの女の店員が新入りでまだ覚束ないということ、
男の人のお気に入りであるという「アメリカーノ」のこと。

この人と話していると、
なんだか、いやな事が全部なくなっていくみたいだった。

「にしても……今日は、ヤケに遅いな。珍しいこともあったもんだ……ま、カフェモカなんて無茶ぶりした、俺も俺か。メニューになかったのかもなぁ」
「きっと、新人さんだからだと思うよ」
「……かもな」

男の人が声を出して笑う。
ぼくも笑った。

ひとしきり笑った後、男の人が「あーあ」、ため息をついた。

「なぁ、お前。その傷、なんだ?」

指差した先には、ぼくの手のこうがあった。
ぼくはその手を見て、思い出してしまう。

……いじめのことを。

気が付くと、ぼくの口から、勝手に言葉がもれていた。
この人になら話してもいいと、思ったのかもしれない。

「……ちょっと、学校でいじめられてたんだ。これは、そのとき、付けられた傷。今日も……一人で学校のうらに呼び出されて……いじめられて……意識がうすれて……気が付いたら、ここにいたんだ」

男の人は、またため息をついた。
しかし、今度はさっきのため息よりも深く、楽しくなさそうだった。

「……普段から、意識失うほど乱暴されてたのか?」
「いや、ちがうよ。今日は……友達のこと、かばっちゃったの」

すると、男の人の表情が明らかにくもり、目が大きく見開かれた。
その劇的とさえいえる変化に目を見張るぼくに、男の人は言う。

「……さっき、『一人で』呼び出されたって言ってたよな。かばったってのは、まさか……」

言っているうちに、男の人は納得がいったようだった。
元々飲んでいたマグカップをカウンターに置き、立ち上がる。
気が付くとぼくは、男に肩をつかまれていた。

「何やってんだ、馬鹿野郎! お前……お前なぁ!」

ぼくは怖くなった人を前に、ただ口をパクパクさせるしかなかった。
男は続ける。

「お前、お前……。それ、正しかったと思うか?」

つばが、ぼくの顔に飛んだ。
男は、ぼくの答えを待つ。

他の客たちは、びっくりしたような表情でこちらを見つめていたが、
何かをさとったのか、あんまり長くは目を向けなかった。
ぼくは、虫の羽音みたいな声で言う。

「……だって、『友達』だもん……」
「……くそっ」

男はまた、席に座った。
深呼吸の音が聞こえる。
ぼくはすぐ席には座らず、少し遠くからその様子をた。

ぼくは、おそれを覚えていた。
か細い声が聞こえる。

「ごめんな、突然大声出したりして」

ぼくは何も言わなかった。
また、静けさが訪れる。
でも、それは、最初の時よりずっと悲しい静かさだった。

ぼくはたえきれずに、窓の外を見る。
記憶が正しければ、今日はずっと晴れだったはずだ。
しかし、窓から見える景色は暗い。

謝られてから約40秒後、男の口が動いた。
なぜ40秒とわかったかというと、きまずさから逃れるために、
数を数えていたからである。

「俺もな……一回、大切な人庇った事あんだよ」

てっきり、またしかられるだろうと思っていたぼくにとって、
これは予想外だった。

「……本当?」

ぼくはたずねる。
男の人は、すぐに答えた。

「ああ。だが……今はそれを、後悔してる」

なんで?

ぼくは疑問をいだいた。
なぜ、人を助けたのに、それを悔やんでいるのだろう。

「なんでだか、わかるか?」

わからないよ、そう言いかけたとき、男の人がさえぎった。

「……届いたな、コーヒー」

見ると、さっきの女の人がマグカップを一つ持ってきていた。
服が黒くよごれているのを見るに、多分、コーヒーをこぼしたのだろう。
ぼくは急いで男の人の横に座り、カップを受け取った。

カップは、あたたかかった。

「飲んでみな。きっと、うまいぞ」
「うん」

ぼくは男の人に促されるがまま、カップを持ち上げた。
カップの中は、黒──いや、茶色の液体で満たされていた。
普通のコーヒーよりも、甘い、チョコレートのようなにおいがしている。

ぼくはマグに口を付けた。
マグを手でかたむけるたび、熱気が近づいてくるが、ぼくは気にせず液体を口にふくんだ。

自然と口から、言葉がもれる。

         
「だろー? 美味いんだ、ここのコーヒー」

その笑みは、引きつっていた。

「さっき言った通りだろ。ここのコーヒーの旨さは、きっとお前にも理解できるって」

引きつった笑みのまま、男は男のコーヒー──たしか、アメリカーノといったか──に口を付けた。

ぼくはだまって、コーヒーを飲んだ。
こんなに一心不乱になって物を味わったことなど、
これまで一度もなかったかもしれない。

「……なぁ、知ってるか?」

男の人が不意に声を出したので、ぼくはカップを手に持ったまま、
そっちを向いた。

息を吸うせん細な音が聞こえる。

「コーヒーって、豆からできてるって」

ぼくは、思わず白いカップを机の上に置いた。
眼が見開かれるのを感じる。

今日が節分だったということ、
家に帰ったらしようとしていたことを思い出すと同時に、
さっき、どうして男の人がぼくを怒ったのか理解した。

「おにはーそと! ふくはーうち!」
「おにはーそと! ふくはーうち!」
「おにはーそと! ふくはーうち!」
「おにはーそと! ふくはーうち!」

どこからともなく、歌が聞こえる。
それに交じって、コーヒーと、それから豆のにおいも。
幻かもしれない。

でも、ぼくは、ようやく気が付けた。

ぼくが本当に守るべきは友達なんかじゃなくて、
自分だったということ。
そして、ぼくがあやまらなくちゃいけない人のこと。

「ごめんなさい……」

ぼくは目と心からあふれる液体にむせ返りそうになりながら、
さけぶように、
しかし心を込めて、つぶやいた。

      

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